満足度★★★★
何か書くには情報が少なく、演出意図を取り違えそうだが、、以前観た同演目の上演(それも独特な演出だったが)では確か男女の二人芝居で、死んだ姉の事をやたら語る妹の中に姉への偏愛や憧憬や憎悪やらが不分明に渦巻いて殆ど姉と同じ道を辿りそうな危うさを感じさせ、実はこの妹が語る姉というのは自分の事ではないかと思えて来たり・・その「他者」の言葉を聞く青年(少年?)の身体に観客として同化して行くような、そんな芝居だったのを思い出しつつ、かなり大胆な演出的切り込みをしているらしいP・サファリの三人舞台が意味深でスタイリッシュで猥雑な残影を落として行くのを眺めていた。
高さの違う電灯が天井から三つ吊され(人の腰あたりのもある)、他にコードが下まで届いて床に照明が置かれたのもあり、その縦のコードに真っ赤な帯が結わえ付けられ斜めの線が2本出来る。その四角のエリアには、女性用の帽子を被り黒レースを羽織ったトルソー(胴体の人形)があり、これが擬人化されるので、最大4名の人物が舞台上に居る勘定となる。
始め男性二人が上手奥袖から時間差で登場し、ジャレたがる片方が他方を追うものの、相手は別の事(歩きながら読んでいる本=「財産没収」のテキストか)に気を取られ、つれなくしているという図がリズミカルに表現される。暫くあってつれない方が声を発すると女演技で、女性役を代行しているようにも、あるいはゲイカップルの女役とも見える。紅一点がやがて登場。容姿・動きともに妖艶を絵に描いた艶姿で、(下品を承知で言えば)鼻血もの。女役を兼任する男と、既にゲイにしか見えない締まった筋肉の男性役との三者が、位置とモードの入れ替えしながら良いバランスで変転する軌跡が何とも「美的」なのであるが、象徴されているものを読み切れない。
以前同じアゴラで観た「悪童日記」(今度また再演するらしい)もそうだったが、身体を駆使したパフォーマンスが特徴で、スピーディで形が良く、緩急によって情感が表現できる。今回は利賀演出家コンクールにも出品した演目だからその再演と思われるが、利賀だけに暗示部分(表面に見せない部分)が広がっている演出の方が評価が高そうだ。従って難解なのもむべなるかな、だが、「悪童日記」という小説の舞台化の方が難しい作業だったのでは・・とは素人の感想。
「ユニット」にしては完成度の高さに圧倒される。新たな仕事でまた驚かせて欲しい。