女中たち 公演情報 風姿花伝プロデュース「女中たち」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    風姿花伝プロデュース第5弾。第1弾「パサデナ..」に心酔、前回を惜しくも見逃したので今回は早めに予約。演目はそれまでの比較的シリアスなストレートとは少し傾向を異にしていそう(「女中たち」は恐らく観ていないが何処と無く)。鵜山仁演出、さてどうだろう・・楽しみに出掛けた。例によって体調(↓)を懸念したが舞台との距離近し。豪奢に飾られた邸の一室は目を引くが、写実一色でなく象徴的な形も含み、役者が入ってみないと見えない余地がある。
    さて開幕。演出がこの戯曲についてパンフに書いた中にあった「虚実」定まらない難物、という(意味の)言葉通りで、難敵を相手に四苦八苦した跡が見えたのだが。「女中たち」をこれは読まずばならぬな、と強く思い劇場を後にした。
    (余談だが劇場入口に洒落たカフェ(窓口で出す)が作られていてチケットで一杯。終演後飲んだがこれは美味い。次来た時もあるといいな。)

    ネタバレBOX

    実は途中で寝てしまったのだが、その理由(体調不良以外の)を言い訳がましく考えた所を。開幕後、艶やかな女主人をいかにもな振りで演じる中嶋朋子と、しおらしく振る舞っていたかと思うと無礼な口をきく那須佐代子の女中のやり取りから、興味深く小気味良い謎掛けの始まりだ。ところが、その先から雲行きが怪しくなる。二人のやり取りが過激化して女中が女主人の首を締める途中で目覚まし時計が鳴ると、「もう少しだったのに」と、二人は芝居をやめてしまう、というオチがまずある。彼女らは二人とも女中で女主人不在の時間をそのように楽しんでいた訳だった。これをオープニングとして、以後暫く「現実」のやり取りが続くのだが(これを現実と捉えるべきか否かも微妙に思われるが)、ここから那須氏の演じる方の女中が悲劇的なトーンで台詞を出すのである。相手に食ってかかって笑いああの余地=遊びがない。わざとらしくそうやるのでもなく、真剣さを観客に理解し共感してもらおうと必死に演じるが、空を掴み損ねるかのように言葉が着地しない。台詞の言葉の要請と違う答えを役者が捩じ伏せようと見えるのだ。
    この場面が始まった時、鵜山仁氏は役者に演技の中身はについては注文をしない人疑惑(私が勝手に思っているだけだが)を思い出した。
    何となくだが今回のキャスティングは女主人が若く女中が年嵩という変則的なもので、特にその点に意味付けをしようという意図は感じなく、その事の違和感もさほどなかったが、役者本人にとってはどうだったろう。
    いずれにしてもこの戯曲は人物のその人らしさを謎解くタイプの劇ではないだろうと思うのである。(人情の機微や真情の訴えで感動を誘う芝居では、後に明かされるその人の来歴や本心、というあたりが落とし所になるのだが。)
    それで思い出したのが文学座で昨年二十年ぶりに再演した別役作「鼻」。別役のとぼけた台詞の中に僅かに滲む程度の「感動」に、芝居こと動員して力業で感動ドラマ風にしていたのも、鵜山演出だった。この「女中」も殆ど強引に感動を掘り起こすというよりあてがっていると感じられ、終盤の洒脱な台詞も真情吐露に重ねていて、頭の固い私が端から決めてかかったのが悪いのかも知れないが、全く合わないものを接合しようとしていると感じてきつい時間となってしまった。
    女中らの弁えは、とことん本心を「読めなく」振る舞い続ける事ではなかったろうか。虚の中から、観る者に実を探し出させる構図にすべきではなかったか。明日で公演は終わり、自分の実感を検証するためのリピートが叶わないのは残念。

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    2018/12/25 17:41

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