狂和家族 公演情報 劇団女体盛り「狂和家族」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    初観劇の団体。チラシに惹かれて観た。
    spaceEDGEは小さい。(この会場の別仕様だったか同敷地内の別のスペースかでもっとゆったり観た記憶はあるが。)
    先日までトラムで上演していたらまのだ「青いプロペラ」の初演もここの同じ仕様で狭く、舞台を作り込んで(生楽器スペースも仕込んで)中々見せる舞台に仕上げていた。今回の女体盛り公演もその記憶に重なる所が。・・こういう場所でも芝居は出来るという。
    折込みには桜美林鐘下クラス(と言うのか)上演の案内あり、ラッキー(徳望館、遠い..)。後でみればこの団体も桜美林卒業生のユニット。しかもまだ卒後二年。半ば予想したとは言え受付人員、客層とも二十代の若さ。ただし落ち着いている(会場のせいか)。また客席には5、60台の姿、身内か、演劇関係者か・・と会場をみながら想像を廻らしていると、無駄なくそつない前説のあと壁のスイッチで室内灯が消され、本編が始まった。
    全編が非日常な状況に占められていたが、若い割りには制御されたドラマという構築物がそこにあった。

    ネタバレBOX

    「狂和」という妙な語感の造語が狙う所が、観終えた今では判り、狂った(歪んだ)ままに和する事のケーススタディと言えなくもない。実例は現今にもナチス時代ドイツにも認められるわけで。このドラマの極端な展開も「有り得なく無く」見える。
    リアルを裏付けようと詳細に説明を施し始めたら中々厳しいだろうが、家族の陥らないとも限らない病理をざっくりとながら示していた。
    極限な状況から幕を開ける家族の物語はそこに至るプロセスを回想シーンで謎解き、現在進行形の話も進展してある結末を迎える。
    ハッピーエンドの訪れは冒頭から断たれているに等しいが、場当たり的にやり過ごしてきた家族の近視眼がやがて破綻を来す段階に至って、ようやくにして遅きに失する「気づき」を得る。再生へと活かされる事のない気づきではあるが。
    観客の目には、最後まで歪みを認めない者、従って自分の非も認めないある人物に、諸悪の源を見出だす格好となるが、この人物と切り結べなかった他者=家族の思考の不徹底は看過できず、「何故ここまでコジらせてしまったのか」と思わずに居られないが、ダメダメな中でも最悪は、「気づき」にもかかわらず再生への欲求を湧かせず(真の気づきに非ず?)、死を選んだ事、の一事に尽きてしまう。つまりその前段まででドラマは十分に語られているわけだ。問題人物の背景が見えて来れば、別の選択肢が有り得たが、最後に「ケリをつけた」人間は問題人物の論理に乗ってしまい、ついに主体的行動を取れずに人生を終えてしまった、そういう悲劇にもみえる。
    粗削りながら、5人という人物配置での面白い思考実験をみた。

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    2018/12/05 08:41

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