思い出し投稿:
恐らくは疲労で途中舞台でなく夢をみた。到底眠りを誘うような要素は無く、メリハリのあるスピーディな演出だったが、人物関係の把握ができない滞留時間が暫くあった事(台詞では名は呼ばれ説明が施されているが説明された人間関係の風情がみえず混迷)、もう一つはこの韓国人作家による満州在住の(現吉林省あたりだろうか)朝鮮人の話が、どの視点で描かれているのか、シライケイタがどのような潤色で臨んだのか(前回は朝鮮人を全て日本人に置き換えて上演したと聞いていた)、見えて来なかった事による。
「前回」とは同作家による戯曲の上演で同じくシライケイタ氏の演出であった(観なかったが知人から面白かったと聞いた)。
そんな訳でコメントを控えていたが、日の丸に命を捧げた朝鮮人の話を日本人が芝居として上演する行為が孕むナイーブな問題が、まず第一に意識されない上演は、たとえそれが完成された戯曲であっても、意味的には不明瞭になる。そういう舞台に私には見えていて、その感触は払拭されずに終わった。見当違いな印象である可能性もあり、それを検証する材料が無いが(戯曲も日本語に印字されたものは無いらしい)、記憶にとどめて置こう。