竹取 公演情報 世田谷パブリックシアター「竹取」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    シアタートラムは「世田谷パブリックシアター」の小さい方、というポジションだが「広い」と感じる事が多い。小劇場と感じた芝居を思い出すと、『グッドバイ』(シス)、『クリプトグラム』、昔観た「地域の物語WS」発表とか、韓国現代戯曲リーディングもか。それらを例外として、「大型劇場」で観た感触が強い。「夜への長い旅路」(梅田芸術劇場)、「管理人」「散歩する侵略者」(2017)、「お勢登場」など。今回の「竹取」も黒を基調に奥行きが生かされ、広い、と感じた。まあそれはどっちゃでもよろし。

    ネタバレBOX

    プレビュー公演を観た。小野寺修二演出作品。『あの大鴉、さえも』(芸劇)でデビューを飾った(身体パフォーマンスではそう言えるのでは)小林聡美を、再び起用?とあって、また映像以外で見ない貫地谷しほり出演とあって早々と予約した。
    上記芸劇イーストでの舞台(大鴉)は、元戯曲のある作品にしてはかなり抽象的。その分演者のパフォーマンスの質に掛かる比重が高かった。小林女史は無論、三人で作るアンサンブルの一角をしっかり担っていたものの、身体コントロール技術、バランス感覚や機敏さ等においては素人と見えた。その小林が再び小野寺と組む・・小林と小野寺どちらに期するものがあったのか、どちらが企画側に近くてどちらがオファーをしたのか、事情は一切知らないが、そこに何か無ければなくちゃならんだろう。と密かにその答えを心待ちにした。
    野村萬斎を芸術監督に頂く世田パブで、『竹取』というまず企画。脚本:平田俊子とあるが、小野寺の舞台では台詞も一つのピースでしかなく、発語される文字数も少ない。阿部海太郎の音楽は舞台中央奥にでんと置かれた太鼓が凡そ全て。冒頭を打楽器奏者・古川玄一郎、最後を小林聡美が、徐々に音量を増すシングルストロークの連打。阿部氏の小野寺との仕事ではSPAC版『変身』での全編に亘る音楽が圧倒的だったのと、随分違う。
    貫地谷は序盤からアンサンブルの方に加わり高い身体能力を見せ(というか若い?)、藤田桃子ら熟練に混じって遜色ない。小林は序盤から特異な位置で、淡々、飄々と存在し、集団で機敏に動くアンサンブルとの対比がある。貫地谷は後半単独で(主にかぐや姫的存在として)存在する場面が多くなる。いずれにせよ小林と貫地谷という二つのトップが同程度にフォーカスされる。その塩梅は絶妙だが、二人とも目立ってしまう場合は、どちらがかぐや姫か、それとも二人を通して同時にかぐや姫を表わすのか、そうでない場合もう一人は誰(何)を象徴する存在なのか・・といった所で私は混迷した。「竹取物語」のストーリーを追いかけるパフォーマンスではなく、翁、婆に当る人物も、身分の高い5名の求婚者も、帝も、それと判るようには出てこない。
    竹から生まれた神秘的な出生、人間性を帯びてくる成長期、婿選びのエピソード、月への帰還と、物語としては意外に派手で賑やかしいが、こたびは「現代能楽集」である。静けさがある。薄暗がりがある。その中に月に照らされたように浮かび上がる白がある。人の姿が白であり、また上からつるされた何本もの筋(ロープ)が白。ロープは先端の重しを移動させて刻々と図柄が変わる。チラシのデザインに同じモノトーン。そこに統一感のある「美」は表現されているが、「竹取」の原典から何を読み取り、舞台に上げたのだろう。
    まず「物語」としては読めない。能というなら魂鎮めの対象は?かぐや姫なのか、いやかぐや姫が見ている人類が鎮魂されるのか。最後の太鼓の連打がなぜ小林だったのかも、よく判らない。小林という面白い素材を面白く配置する事がこのパフォーマンスの狙いである、と聴かされれば、それなりに納得できそうではある。

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    2018/10/19 11:13

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