を待ちながら。 公演情報 TAAC「を待ちながら。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    どこかに居そうな夫婦の日常を切り取って、観客の関心を惹くだけが芝居ではない。演技力によって観客を圧倒し魅了する。特にこの公演は2人芝居であるから1人ひとりの演技力はもちろん、その呼吸のバランスが重要だ。その意味で本公演は、現実とは異なる、演劇的現実をしっかり立ち上げており観応え十分であった。
    「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)をもじったタイトルであるが、ここでは不条理ではなく、普通の夫婦が或る出来事によって平穏な日々を過ごせなくなる。その不安定・不均衡といった気持を丁寧に描いた物語である。
    (上演時間1時間40分)

    ネタバレBOX

    セットは夫婦が暮らすアパートのダイニングキッチン兼居間。上手側にソファー、中央にダイニングテーブルで夫婦の椅子と子供用の椅子が見える。下手側に流しや冷蔵庫といったキッチンがある。正面奥はガラス戸で外に自転車が置かれている。細部にわたった作り込みは見事だ。この空間は生活の基本になる場所で、ここでの会話は自然な流れ、その演技力は素晴らしい。

    梗概…義母から贈られたぬいぐるみ、正面に見える子供用の椅子が先々虚しくなってくる。もちろん子供は登場しないが、夫婦の会話から子供への愛情が伝わる。子供は心臓病で亡くなり、悲しみに耐えながら生活をしている。その坦々とした暮らしの中に、子供がいた時の想いが募る。夫婦の間でも子供との(時間的な)関わりの違いから想いに温度差がある。何となく生じてきた蟠りを解消しようと街頭募金を始め、そこで生き甲斐のようなものを見出したが…。

    この公演の魅力は子供を亡くした夫婦の空虚な心、一方諦念したような坦々とした暮らし、この「気持」と「現実」を丁寧に表現する。ぬいぐるみをくれた義母へ悪口、なだめる夫。そして警察官である夫の帰宅にあわせた料理と食事。空虚と絶望に覆いつくされながらも生きる、そんな様子が宛転たる語り口によってもたらされる上手さ。

    空虚の原因、その子供はいつまでも登場しない。その生きていた時(過去)への憧憬のような感情が少しづつ癒され、自己の存在意識を取り戻しつつある夫婦の姿を斬新なスタイルで描いている。登場人物が2人のため、外出から帰って来るまでの一瞬、舞台上には誰もいない。そのいない空間こそ空虚という心象表現のようだ。
    セットが示す生活空間、そこでの夫婦ならではの本音、感情の衝突などの濃密な会話、それがピーンと張り詰めた緊張感を漂わす。その緊張感がゆったりとして時間の流れの中で弛緩していく、そんな滋味溢れる好公演であった。
    次回公演を楽しみにしております。

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    2018/09/28 14:39

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