九月、東京の路上で 公演情報 燐光群「九月、東京の路上で」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    百年近い昔の9月に日本を襲った関東大震災の時の恥ずべき事件の本質は今の日本にも残っている、それを踏み越えろ!と言う啓蒙劇である。告発の内容は、人種差別とメディアの無責任と無力、それを増幅する大衆の付和雷同性、と言ったところがテーマになっている。天災がしきりに起きる昨今、社会的な環境もあって(たとえば原子力発電)このテーマは広く関心を呼ぶところだろう。最近、こういう問題劇を直接法で告発する劇が多くなった坂手洋二の燐光群。この劇団も長い歴史を持つようになって、なじみの俳優陣には年齢を感じさせる人も多い。反面、劇構成は手慣れたものになっていて、主な事件としてリポート形式で描かれる関東大震災の推移とその間に起きる朝鮮人虐殺事件は構成も巧みで迫力もある。社会劇も、いまは民芸や東芸のような古い劇団に加え、チョコレートケーキやトラッシュマスターズのような若い劇団もしきりに挑戦するが、これだけ直説法でしかも劇場の温度を高められる作家・劇団は少ない。
    しかし、劇場を出て、観客たちに、この芝居が示唆するような行動を起こさせるだけに力があるか、というと疑問である。かつての事件は今や誰もが「指弾されるべき事件」として首肯するだろうし、それが潜在している現在を撃つならば、なにやら暢気なNPO法人などが現在の打ち手として登場するよりも、リベラル議員と極右自衛官の対立くだりを、もっと人間的に細やかに描くべきだったのではないだろうか。
    現代社会が、20世紀時代のモラルでは整理出来なくなっているのは、もうほとんどの人間は心得ている。そういう観客の不安の琴線に深く触れていかないと、単に古いモラルでの安全な告発を言って見ただけに終わってしまう。それでは困る、ということで、新しい視角のある作品を提供してきた燐光群ではないか。今回は虐殺事件を表面に出し過ぎたのと、朝鮮人差別に象徴される人種・身分差別とヘイトスピーチを重ねて(私はここが違和感があった)二兎を追って、詰めを欠いたと思う。
    長く社会劇に取り組んできた坂手洋二なら、何か演劇で今世紀の新しいモラルを発見してくれるかもしれないという望みを持っているのである。他劇団に書いたブレスレスなどは成功した例だと思うし、屋根裏も面白かった。声高なのは以外にこの作家には似合わないのかもしれないと思ったりする。

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    2018/07/27 22:47

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