Silent Majority 公演情報 劇団龍門「Silent Majority」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     今作に主人公は居ない。このことが一般的にドラマツルギーを旨とする演劇的カタルシス構成の難易度を上げている。

    ネタバレBOX

     どういうことかというと、描かれているのはあくまでサイレントマジョリティーだ、ということだ。これは、葛藤を通じて何らかのメッセージを伝える演劇としては、かなりの冒険である。こういった事情が齎す結果見えてくるのが、男女の存在様式の差異であろう。生物としては、女性がプロトタイプである。従って存在様式は、その生物学的基礎によって女性の方が、男性よりより深いと言わねばならぬ。つまり男は女性と比較した場合、非在に近いのである。このことが理由で男は縛られることを嫌い、自由やロマンを求めるのだ。そしてそれらは、未来へ向けての自己投棄によってのみ可能である。即ち男の存在とは、常に今非ざるもの・ことへの可能性追求である。
     だが、演劇は板の上で実際の人間が演じるのが普通であるから、物語として、主人公を置かぬ作りでは、滲み出る存在感が、観客に訴えてくるものの割合が高まる。こうなると、女優の方に分があるのではないだろうか?
     今作にはLGBTの人々も出てくるが、バーのママは、役の上ではン千万も掛けて自らの肉体を改造した人であるし、そのことの凄みは、パフォーマンスを披露する際の指使いなどに端的に見て取れる。
     一方、もぐらに嵌められて懲役を喰らった悪徳デカを支える外国人女性役の演技は、女性の存在感とその本質を表して見事であった。何より主人公の居ない今作にあって、存在の在り様と存在によって未来を孕む女性の深く狭い愛を表した演技が自然で得心のゆくものであった点がグー。
     主人公が居ない今作であるから、或る意味、宿命がその中心課題になるのは必然である。何度も出てくる自殺への道程、また恋に絡んだ刃傷沙汰、憧憬から一夜限りのアバンチュールまで、そしてLGBTとの・・・等々、この世に存在する愛のカタチが、それとなく織り込まれ擽りを入れてくれる。自殺へ至る場面は、陸橋下を走る列車が観客側に向かって灯される2つのライトによって単純明快に示される。無論、音響効果で臨場感が醸し出される。舞台中ほどから奥へ張り巡らされた鯨幕にも出吐けが設えられ、他にも上手、下手に1か所ずつ設けられた出吐けと共に合理的に使われている舞台美術もグー。
     更に完成度を高めるというか、実験的に創り上げてゆくのであれば、演出がシュールになって構わない気はする。即ち宿命を主人公と見做し、宿命に翻弄される人間を描く喜劇として舞台化するやり方だ。毀誉褒貶相半ばするリスクは容易に想像がつくが、成功すれば話題性・注目度はかなり増すように思う。

    2

    2018/05/25 13:26

    0

    0

  •  村手さま
     色々考えさせて頂きました。まだまだ未熟なレビューですが、今後ともよろしくお願いします。
       ハンダラ 拝

    2018/05/26 01:18

    いつも真摯な感想ありがとうございます。

    2018/05/26 00:52

このページのQRコードです。

拡大