満足度★★★★
風変りな舞台だった。三好十郎のこの戯曲自体が戦前のもので(1940~42)、どこか牧歌的な匂いがあって戦争体制のただ中の状況の間にあるはずの緊張関係は戯曲の背景、というより戯曲の外に退き、読む側なり作る側がある種の読み込み方をしなければ「現代」の目には奇異な代物になる。
まず役者が戦前の東京下町の吹き溜まりのような長屋での「在り方」を掴みかねているか、戯曲がどっちつかずか。・・江戸人情噺のような人物の風情・口調が、語られるリアリズムに寄った台詞と、微妙にズレて軋んでいる。
戦争という状況を説明する台詞は僅かにあるが、大状況よりも個々の抱える事情、心情に焦点が当てられている。小さな営みを日々重ねる庶民の小さなドラマがそれ以上の何者でもなく綴られるのを、どう受け止めてよいか図りかねながらも、(他の三好十郎戯曲から来るものもあるのだろう)人間存在をみる熱い眼差しが、 舞台にそそがれているその眼差しに同期していく瞬間があった。舞台もそこへ収斂して、大団円のゴールを踏んでいた。主役と言える三郎が場面の一瞬、一瞬に変化し、存在の輪郭が上書きされた最後に映る「三郎像」を認め、芝居が漸く落ち着くべき所へ落ち着いていく。ゆらゆらと揺れて倒れそうな芝居を(戯曲の要請によるものだとしても)三郎が一人支えたと言って誇張でない感じを持った。