満足度★★★★
10年続けた劇団の解散宣言ののち身軽になった松井氏が果たしてどう違った一歩をみせるか。
松井色としては「変わらない」というまずは感想。「自慢の息子」のごちゃごちゃ舞台を思い出し、蒲団を重ねた基地で戯れたり泥池に入ってザリガニを探した子供の頃の記憶に接続すると、これは「心理」の劇なり、舞台が「箱庭」に見えてきた。
混沌は舞台上のみならずテキストにも。物語は恐ろしげなシステムが築かれたらしい未来の日本、山間のその場所に作られた中途半端な小屋が建ち、僻地らしいその場所で物語らしきものが展開する。古典的作品「楢山節考」は意外にしっかり踏まえられていて現代版、近未来版楢山節考として観られる。
従来の俳優・スタッフ共同によるものでなく松井氏と小説との対話で醸成されたものか・・。元団員野津氏がのったり中心的に立ち回る。見た目では板橋駿谷が一人せわしく舞台を回す。戸川純がそのキャラと台詞の取り合わせに一々笑いをもらっている。他に若い女優二名と松井。奇妙な塩梅だが群像劇。
秀逸なのは未来の設定で松井〝変態〟周の本領が十分発揮されている。が、問題はストーリーを進めるエンジンとして「楢山」のドラマが使われており、水と油のよう。この二つを演劇的に包摂してアウフヘーベンさせる終盤の奇抜な展開が、力業で芝居をどうにか着地させていたが、素朴な疑問が生じる隙はあった。
「楢山節考」のリアルは「食うものがない」というシンプルな事実の上にあり、この一事を巡ってのドラマであると言って良い位のものだ。この「楢山」の原理と、松井氏の生み出す秀逸な未来像(現代への揶揄)とは、趣向が少し違う、にもかかわらずストーリーじたいは原作の出来事を動力として進み、楢山の原理(人の食糧に手を出したものは村八分。原作では「楢山様が怒るぞ」、舞台では「よしなり様が怒るぞ」と騒ぐ)に依拠したシーンもあって、ところがテキストには窮乏の背景描写が不足で祖語が生じてしまう。そこだけ無視して観続けられなくもないが・・骨抜きの「楢山節考」にするなら徹底してやりきらねばなるまい。
といった所。個人ユニット・サンプルの事始めは手探りでも松井色健在、この先も楽しみ。