満足度★★★★★
SPACで、宮城演出で、『寿歌』。未知数に惹かれて観劇した(もっとも「寿歌」を私は初見、北村想作品は何作か観劇)。
三人芝居。ネジ一本足りな気な女を演じる(割と普通顔なのに舞台上で俄然存在感を示す)たきいみき、漫才の片棒に仕込んだ彼女をリヤカーに乗せて荒野を行く(芸達者風情の)奥野晃士、「ヤソ」と名乗って「ヤスオ」と呼ばれる超自然人(長髪痩身の役作りを成し遂げた?)春日井一平が、核戦争で人類がほぼ絶滅した地球の上を、シュールな言動をかましながら旅を続ける。
山間にある野外劇場「有度」は既に夕暮れ、両側に舞台領域を広く取ったコンクリートの建造物(照明などを設置)が途切れた先は、奥深い高木の林。カミイケタクヤの美術は、バイパスのようなカーブのついた道が8の字に、主な演技エリアがちょうど頂点から下るカーブが手前にせり出すように設え、地面は遊び心がのぞくガラクタを散らした上にビニルが覆っている。
不思議な時間が流れていた。劇中ミサイルの発射音が絶えず鳴り響き、まだ使いきれない大量のミサイルが人間の手を借りずに発射されている、という短い説明が台詞中にあるのみ。行き交う人も無し。
深刻な設定と旅する二人の脳天気さとの落差が醸す何でもあり感は、物を増やす術を使う仙人風、というか浮浪者風の男との出会いをも包み込み、やがて幻想的な蛍の光の場面、実際に最後に降らせる雪をも許容するだけの詩情が溢れて滲み出し、全体を満たしていった。
浮遊するような掴み所のない台詞は、一つ一つその意味合いが整理され、逐一目的が明確になっている、と思った。戯曲が持つ「不思議感」は台詞を伝える事だけでも醸せる事だろうが、舞台上の一秒一秒を躍動させるためには(役と同じ時間を観客も生きるには)、役に行為と存在の一貫性を与える台詞の意味(それはどういう行為か)のあぶり出しが不可欠で、とりわけ不条理風な劇では重要、つまり難作業と思う。そこを的確に選択し、塩梅できていたのが今回のSPAC版「寿歌」の出色だったとの印象である。