ブラインド・タッチ 公演情報 オフィスミヤモト「ブラインド・タッチ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    通し券があれば毎日観たい芝居だった。
    その理由は置いて・・
    二人芝居。観客にとっても、視線を散らす事のできない濃縮された時間だが、開幕から力みなく、いつしか誘われた。

    燐光群の、というよりは、坂手戯曲の調子であったと、体言止めや「である・だ調」の頻出に改めて思うところなれど、会話で状況が立ち上がるストレートプレイのモデルのような作品である。刑務所の面会室のボード越しでなく生身の再会を十数年ぶりに果たした男女二人が、新たな二人の結婚生活を始める一軒家にやってきた、その瞬間からの恐らく何ヶ月間かの物語。関係の物語だ。
    少し遠めの過去と、ある事に関する真相が、徐々に顕現してくる。まずは場を認識させ、近い過去を類推させ、二人の距離を推測させる、言わばベールが剝がれて行く過程がうまい。

    男は「運動」の中で、ブラインドタッチというバンド(二人組み)の片割れとしてライブ活動をしていたが、騒乱事件(抗議する市民と機動隊との衝突)に巻き込まれ、騒乱を主導したとしてバンドのもう一人の男と共に有罪となり服役する。よりリーダー的存在とされて冤罪で服役する片割れを残して、彼は再審の結果16年目に釈放された。
    男と知り合って間もなかった女は、二人を救出する運動に打ち込み、その過程で男と結婚した。女は男との関係について、また相手への配慮について、言葉にし得る限り言葉にし、二人の間の信頼関係が続くことを前提にあらゆる事を話題にする。それは男の社会復帰への道を伴走しようとする行為であり、男は女に応答するべく、言葉を紡いでいく。

    その中心にあるらしいのは、音楽、ピアノであった。
    女は新しく借りた部屋にピアノを置いている。運動の世界では著名なバンドであったブラインド・タッチの一人が解放された・・男の釈放は「運動界」ではそう認識される。だが沖縄の集会に招かれ、ジョイント演奏を乞われたと女に告げられた瞬間、彼は演奏を強く拒む。
    理由はひどく納得できる衝撃的なものだった。即ちバンドを主導していたのは譜面が読める獄中の片割れであり、曲の主軸は彼が演奏し、男のほうは破壊的な音の介入をして掻き回す役であった。譜面も読めない。
    この告白への女の反応がよい。少なからず動揺して一瞬視線が宙を泳ぎ、「事実」の確認のための質問を続けた後、女を支えていた何かが脆く崩れそうになる予感が走るが、女は彼との関係を続ける方途を探るのだ。

    借りた一軒家の庭に、男は離れを作り始め、暗転のたびに基礎、柱、全体と出来上がっていく。ほぼ囲いができたある暗転の後、なぜか女がその部屋に閉じこもっている。「独居房」的に使った感想を言う。「あなたはよくこれで何年も耐えられたわね。」
    場面は前後するが、話題は性的な事柄に及ぶ。つまりは、何でも話題にする女のある種の意志の表れだ。と、男はアレが「できない」事を女に詫びる。女は自分が悪いという。私の方が年上である事を言い、何かの団体の○○さんとはやれたのかと訊くと、男は強くは抗わず、認める。「一緒に住む意味とは」「結婚とは」「繋がる事について」・・。
    女は自分が出て行く、と言う。男が自分のほうこそ、と。すると女は「この部屋の家賃もあなたの救出支援活動のカンパが財源。あなたに住む権利がある」と明快に答える。執着を断ち切った、突き放した語りの後ろに、女の内にある情熱を、観客は仄かに感じ取る。女は男へ介入し続ける。男の意固地な拒否をみて、怪我を装うために指に包帯を巻きはじめる。「これは二人の新婚旅行だね」と知人に言われた沖縄行きを断行する決意を示すと、男は渋々首をタテに振るのだった。

    会話の前後関係まで覚えていないが、女は男のその「演奏」に対するこわばりまでも最後は溶解して行く。ある一言が確か、あった。が忘れた。いやそれは女が弾くピアノの音だったか。。
    「離れ」の壁を引ん剥くと、そこにはもう一台のピアノがあった。女はそれを貯金をはたいて買った自分用のピアノだという。男には、男のために買った、部屋に置かれたピアノを「あなたはそのピアノを弾いて」と、あてがう。
    無言の間。男は、ピアノへと近づき、手を伸ばしてみる。その意味するところを観客が回顧する間もなく、二人は「演奏」を始めるのだった。

    ネタバレBOX

    問題はこの演奏である。パンフには「ピアノ指導:斉藤ネコ」とあった。小曽根真でも山下洋輔でもなく、絶妙な人選に思えたが、二人の演奏は即興の部類に入るものだった。男と女がアジテーションしあいながらピアノを激しくうねるように叩く。なかなかの衝撃だ。私が聴いた回では、完成形というものがない印象を残した。次をどう叩くか、どういうタイミングで、どういう感情を乗せて叩くのか・・これは即興ゆえの(ジャズに通ずる)面白さがある。ドラマの中ではこの「即興音楽」の要素は独自の生命を帯びるような、奇妙な違和感があるが、ドラマを破壊せず成立している。
    この即興の行方を毎回見届けたい。冒頭「毎回見たい」と述べたそれが理由。この欲求は一方でないが、マニアックな願望だろうか。

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    2018/04/01 21:18

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