満足度★★★★
銅鑼は確か一度、3年以内に観ていた。野宿者支援グループの話で、ホームレス支援にまつわる若干緩めのエピソードを組み合わせたドラマだったが、味のある中心的役者の風情によって奥行きが深まり、ラストの強烈に明るい照明も劇的効果を上げ印象深い舞台になった。
社会性のある人間ドラマという括りでは、今回も同じ、老人ホーム(特養)が舞台の、死を間近に待つおばあさんと、何年振りかに訪ねて来た彼女の孫との交流を軸に進むドラマだ。
まだよく知らない青木豪氏演出への興味、詩森ろば脚本で「残花」が(戯曲を読んで)良かった事で、銅鑼との相性の良さにも期待して、足を運んだ。(詩森氏の新ユニットSerial Numberからの推薦メールも後押し。)
性的マイノリティという、ドラマの中心に据えても良い強い要素も傍流としながら、谷田川さほ演じる祖母の最期の「看取り」の日を中心に、まだ彼女の元気だった3、4年前の回想場面とを行き来し、現在の「台風の夜」での右往左往もシーンとして挟み込みながら、その嵐もやんだ嘘のような静寂を漸く迎えたとき、終幕(祖母にとっても、芝居にとっても)に向かって観客と演者とが一になる瞬間が、作れていた。
台詞量のない主役の人間味が、前回観たのに続いて、キーであった。
舞台は、入所者の終の棲家として類例のない試みを行なう岡山県の実在のホームが下敷きになっているという。スタッフや出入りの者らの個別エピソードも、そんな輪(和)の中に包まれ、自らは多くを説明しないお祖母さんの人格が、俳優自身の佇まいや表情でにじみ出ていた。
基本は喜劇タッチのストレートプレイという所で、若手(孫役と、トリマーの世界に幻滅した傷心女性)に、真摯に物事に向き合う役を負わせるハートウォーミングなドラマの範疇に収まるが、このフォームに収まろうとするのが「下心」な芝居とすれば、銅鑼の芝居は、役者自身がそのフォームから、役もろとも飛び出そうとする心の動きが・・見えたら本物だなァ・・そういう場面が幾つかあったなァ・・と、静かな感動に委ねてみて良いと思えた。
なお前説は谷田川女史が、スピーカーを通して(多分録音ではない)携帯電話の電源云々の挨拶を行なう。これが矢鱈フレンドリーで、完成された挨拶となっていた(岩井秀人に次ぐ和ませ技)。