満足度★★★★
大雪、と言ったら東北の人には笑われるだろうが、東京では珍しく夕方から雪になって、たちまち交通機関は機能不全。普段なら一時間もかからない劇場まで一時間半。帰りは不通のおそれとの広報が行き過ぎて、終演後のノロノロ電車はガラガラだった。
そんな中でもラッパ屋の客は律儀である。いつも通り、ほぼ9割の客足だが売れた席には遅れても客が来る。結局最後まであいていた席は記者席・関係者席だけだった。
客席を見るとその劇団の健全度が解る。この劇団はサラリーマン演劇とうたっているだけあって、最近はさすがに若者の率は減っているが、それでも、老若男女まんべんなく市民の芝居好きがやってくる。政治のおこぼれにあずかろうとする劇団や、タレント頼みで儲け優先の劇団は少しは学ぶと良い。
旗揚げの頃から老成して見えた座付の主宰・鈴木聡もそろそろ実年齢還暦を越えたのではないだろうか。喜劇の作家と言うのは、そろって気難しいものだが、鈴木は(実際はそうでもないのかもしれないが)いつも春風駘蕩の雰囲気で劇場の入り口にいる。客も律儀だが、劇団の方も律儀で、結構メディアやほかの公演でも売れて、脇役に欠かせない役者も多くなったが、劇団員の顔売れはほとんど変わらない。
「父の黒歴史」は劇団員にゲスト十人近くの大一座。中身は、例によっての鈴木節で、面白く笑っているうちにお開きになる。ここのところ、小劇場も市民生活を舞台にとるようになって、いくつかの劇団が小商売の家を舞台に芝居を作ったが、この芝居の荒唐無稽な百円ライター製造業一家ほどのリアリティがない。及んだのは「60‘エレジー」の蚊帳屋くらいだ。この芝居のほとんどむちゃくちゃの一家が成立しているのは、家の根底のモラルに戦後昭和の時代精神をみて、鈴木が時代批評をしているからだ。喜劇作家の基本がしっかりしている。
過激な若者劇団も、昔の主義主張を繰り返す老残劇団もいいが、どちらも現実性がない。東京市民はこの劇団を市民劇団として誇っていいとさえ思う。