ハイサイせば 公演情報 渡辺源四郎商店「ハイサイせば」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    とてもいい舞台だった。沖縄だけの問題にせず、青森を入れることで物語に広がりが出た。
    ただ、帰りながら少し冷めた頭で思い出すと、解せないというか納得できない2つの点があった。

    (以下、ネタバレBOXへ長々書いてます)

    ネタバレBOX

    『ウインドトーカーズ』という映画があった。ニコラス・ ケイジ主演だったので覚えている方も多いのではないだろうか。
    この映画は実話に基づき、第2次世界大戦時にアメリカがナバホ族を無線通信のための暗号兵としたというものだ。もちろん敵国である日本人にはナバホ族の言葉は理解できないから。
    日本でも同様のことが行われていた。劇中でも出ていたように薩摩の言葉を使い、国際電話で会話をしたという。

    そういう歴史的事実があっての、本作品である。
    沖縄語と津軽弁を使って、国際電話によって秘密の通信を行うために沖縄の人、青森の人がそれぞれ2名ずつ集められた。
    「何のために集められたのか」という疑問から引っ張られて、上記のためだということが明らかになってくると、「なるほどな」と思ったのだが、実はスパイをあぶり出すための作戦だったというカラクリがあった。

    ストーリーの展開も面白いし、なによりネイティブな沖縄語と津軽弁の会話自体が面白い。
    観客たちには、ほぼ会話の内容がわからないのに、会話している様子が面白いのだ。
    自分たちのコトバがわかる同士の安心感から来る会話の弾み方が上手い。
    いちいち会話内容の説明をしないところがさらに上手いと思った。

    そもそも青森の人たちと沖縄の人たちが組んで作った作品ということは、あえて脇に置くが、この物語を単に沖縄の問題だけにしなかったところで、物語の広がりが出たのではないだろうか。

    「標準語」は富国強兵を目指した政府が軍隊を作る上で、命令が通じないと困るから生まれた、という説もあるように、標準語と軍は切っても切れない関係にある。
    それなのに今度は敵国に通信内容を知られないために「方言」を活用するという矛盾がある(アメリカもネイティブ・アメリカンを散々迫害していたのと同様)。そこが面白いし、さらに、イヤな雰囲気をまき散らしている(笑)海軍少佐の吐き捨てるような発言で、標準語が方言よりも「上」であるという彼の考え方(多くの「都会人」の考え方)に否定的になっていく。

    方言こそが「人のコトバである」ということが、4人の楽しげな会話からうかがい知れるのだ。
    そこが楽しいし、面白いのではないだろうか。

    そして笑いが多い。
    笑いながら沖縄や青森のことを少し知ったりする。

    関東大震災時に日本人と朝鮮人の見分け方に使われたという「十五円五十銭」と言い合う青森の人たちの姿が哀しかったりもする。

    4人の会話はほぼわからないのだが、なんとなくわかりそうになってくる。特に津軽弁のほうは。
    その方言の案配が上手いので、ラストの電話にはグッときてしまう。

    このラストの電話、受け取る人によっては受け取り方が違うのではないかと思った。
    つまり、「電話の相手がだれだったのか」という点で。

    掃除婦は「自分の夫が電話の向こうにいるのではないか」と言うのだが、オレオレ詐欺のように電話では相手の声は分からない。したがって、ラストももちろん相手は夫ではなく、すでに電話は切れているのだが、掃除婦は何も音のしない受話器に向かって話しているのではないか、というもの。

    または電話の相手は彼女の「夫」であり、ラストもその夫に向かって話しているというもの。

    私は前者と思ってしまった。

    掃除婦を演じた三上春佳さんのコトバのトーンや仕草がとても愛らしく、ラストシーンでは涙を誘う。

    本当に素晴らしい作品だったと思う。


    しかし、帰り道、少し冷めた頭で考えると2つの点で疑問、というか納得できないことが浮かんだ。

    1つめは、沖縄の人の、作品の上での扱い方。
    沖縄語を話すことで「スパイ呼ばわりされてきた」という沖縄の人たちなのに、この作品では登場する2人ともが「スパイ」なのだ。それも「強要」されたわけではなく、「自分の意思」によるものだ。
    特に元漁師は沖縄に帰りたいということだけで「郷里の人を裏切る」。
    そういう時代だから、というのとも違うように思う。
    さらにこの元漁師は、不用意に「帰らぬ夫を浜で待つ妻」の歌を、戦争に行き安否のわからぬ夫を待つ女性(掃除婦)の前で歌う(もし違っていたらすみません)。この人は郷里の人を裏切るばかりではなく、デリカシーもないのか、となるではないか。
    沖縄語は相手の掃除婦にはわからないのだから、うっかり歌ったとしても「漁から帰ってくる夫を迎え、喜ぶ妻の歌」というウソをついても良かったのではないだろうか(ウソをついたことはほとんどの観客には分からず、沖縄の人にしか分からないが、それも意味があるのでは)。
    結局、そんな扱いしかされないのか、沖縄の人たちは、と思ってしまったのだ。

    2つめは、衣装の問題。
    衣装は少佐のみが、なんとなく日本海軍の軍服っぽいだけで、少尉もそのほかの登場人物の衣装も、どこかおとぎ話の中の登場人物のようなのだ。リアリティをあえて出さなかったのはなぜなのか。
    戦争末期の「日本」の話でなくなってしまうと、発信するメッセージも受け取るメッセージも弱くなってしまうのではないだろうか。
    寓話的な内容にするならば、例えば「日本の標準語が沖縄語」であり、「(いわゆる)標準語(あるいは江戸弁)が一般の人には分かりにくい方言」であるという設定ならば、風刺も効いたかもしれない。

    以上の2点がどうしても納得できなかった。

    どうでもいいことだが、電話でやり取りした内容は、ドイツから来るものだから「赤い鳥がジェット機またはロケット機」「黄色い石がウラン」「青い魚はUボート」じゃないかな、と思ったりした。

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    2018/01/18 05:28

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