劇王Ⅺ~アジア大会~ 公演情報 長久手市文化の家「劇王Ⅺ~アジア大会~」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    さすが全国から代表が集まるコンテストには観劇の醍醐味がある。

    決勝進出作品と一部の好みの作品について、
    ネタバレboxに感想を書きました。

    ネタバレBOX

    ■【救急車を呼びました(平塚直隆[オイスターズ])】
    最初はいつものノリで、穏やかに不条理感を滲ませてくるかなと思ってた。このままなら、劇王防衛は厳しいかな…というのが序盤の印象。しかし、それは極めて甘い予見だった…中盤以降、予想を超えて畳み掛けてくる意外性。
    …発言や所作から連想する思い込みを…、成立していたかに見えた作中・演出の約束事を…、全て逆手にとってくる。「なぜ君が喋る」「二度と言いたくない台詞」の辺りは秀逸。こういう「騙してくれる瞬間」は芝居の醍醐味だ。大いに笑った。

    終始その意図の見えぬ男2(平塚)の不気味さも良い。善意の佇まいから…成立しない意思疎通、本人すら意図を量りかねる様に「あれ?」を繰り返し、入れ替わる「大丈夫ですか?」の主語たち…拡大する疑惑
    サイコパスサスペンスさながらで効果的。
    本作はこれら2つの柱…
    「一種の言葉遊び的、不条理的な会話による意思"不"通への笑い」と
    「善意の装いで(あるいは本当に善意のつもりで)近づき、心理誘導してくる者の恐怖」

    で構成されている印象だ。

    故に"物議"を醸したと思える。

    審査員西田シャトナー氏の「不幸になる人を笑う芝居(且つ教訓の示唆もない芝居)は認められない。これを笑う観客が怖ろしい。」という趣旨の発言があったが、果たして観客が本当にそんなことを笑ったのかは冷静に分析すべきだ。客を侮り過ぎでは?
    少なくとも私の笑いのツボは意外性だ。先述の通り、成立しないコミュニケーション、男2(平塚)の予想外の問い掛け・反応・切り返しに面白みがあり、それが判明するタイミングで全て男1(中尾)が窮地に陥るところに誤解の余地があると思える。とかく人には「許容できぬ勘所」があって、作品への批評眼を曇らせる。引き合いに出すのはおこがましいが、私自身、某作品で加害者扱いとなる人物の描写・扱いに…自分の身近な者の苦悩を重ねて、冷静に作品の価値を受け取り難かった経験がある。…結果的に男1(中尾)が陥る状況が、氏のそういうツボを刺激したかもしれない。 
    確かに男2(平塚)のサイコパス的態度がエスカレートする終盤、飯を食いながら虫けらを見る様に男1(中尾)を観察する視線は強烈で、そういう作為を疑ってもおかしくないし、ネガティブな受け取り方…例えば"いじめの構図"を想起させているかも。男1(中尾)の演技も巧みすぎて、もともと心臓疾患でもあったの?とも思える過剰さだった。(そういう殺人のサスペンスって見たことある。)…

    …感想の本来の趣旨からは脱線したので元に戻ると、先述の2本の柱を、どういう作意で絡めているかは、物議のお陰で興味が湧いた。

    正直、前者の柱だけで十二分に笑えるので満足だが、平塚さんは不愉快な印象を持った人がいたことについて、自ら演出上の課題と捉えている様だ。後者の柱が作品上の調味料に過ぎないのなら強烈さを薄めるのか…。でも、それも勿体ない気もするね。

    一方、もっと深い意図を仕込むために切り口を変えるのなら、それこそ西田氏の様な想起を逆手にとり、本来の笑いどころは違っても、笑っていたという事実だけで観客がいつの間にか加害者に転じている様に思わせる…そんな仕込みも面白いのではないか。

    後味は悪いが、昨今の「極めて作為的な報道等への対峙の仕方」への警鐘みたいになりそうだな。

    ■【言いにくいコトは、、([北海道代表] 上田龍成[星くずロンリネス])】
    ど・どしのぎ祭、「キンチョーム」で出会った星くずロンリネス再来。持ち味を更に研ぎ澄ませ、観客が心地よく笑える空間を提供。

    1アイデアを丁寧に磨いていくスタイルは相変わらずで、キンチョームでの「さ行抜き言葉」ほどの意外性は無かったですが、今回の「早口言葉」は小気味良いテンポにおいてはキンチョームに勝りました。

    そして、もちろん中盤以降の飯塚の早口言葉オンパレードが見せ場ではありますが、それを引き立てるための琴葉・邦彦の噛み噛み早口言葉も光っているし、それらの「早口言葉」が登場できる布石を、観客に悟られない様に丹念に布陣していく序盤の手厚さも見逃せない。

    全てを気付かせない…というのは無理があるほどの超定番の早口言葉があるのも実態で、予選・決勝で2回観ると、序盤の気の遣いようが見て取れて面白い。

    やはり、勘の良い人なら序盤で早口言葉を全て見通せるでしょうから、とっておきのオリジナル早口言葉の仕込みがあれば手厚い仕掛け・意外性になるのにね…という気は否めません。ただ、なんとなく上田さんのポリシーとして「観客の知っている言葉」に拘りがある様な気もします。

    ドラマとしては、むしろ定番の感動シーンを茶化しているかの印象も浮かんで、…なんていうか…Youtubeとかに上がる様な「MAD動画」みたいなものも想起しました。エモーショナルな感動シーンのセリフを、滑稽な早口言葉で置き換えてみた…的な。
    (別に悪い意味では言ってません。MAD動画好きなので。)
    一方で、役者の作る空気は「安心して観れるお茶の間コント」的。

    最後のオチ(そこは言いにくいままでいろ)は何となく弱い気もするのですが、そこまで走り続けた後のひと心地…食後のお茶を一杯…お約束の様式美みたいな後味として無難とも言えるかな。
    いずれにしても、何度観ても面白いライブ感が確かにあって、2度観て面白かったので実感しています。
    演劇とコントの狭間を狙うと標榜する姿勢が遺憾なく表された…これは強み。

    ■【前兆とか([中国地方代表] 亀尾佳宏[亀二藤])】
    冒頭では言葉遊びの様に見せていた「ことわざの珍解答」が「山本の不登校の理由」を解き明かしていく過程は実にダイナミック。

    単純に笑いのネタとして賑やかしになっていたソレが、浮かび上がる疑惑とともに…畳み掛ける様に連発される空気にもはや笑いは無く、観客の受け取り方が180°変わる仕掛けは見事なものです。

    疑惑を醸造させる…母親の対応の違和感…「それを知っていて何故言わない?」と湧き上がってくる疑問にも、両先生のツッコミの冗談で…観客にカモフラージュされて、「結論」に伴って再び息を吹き返すのも巧妙で良い。

    伊藤の正論や、それに対応した第一場・二場の暗転直前の中尾の「問い」…このバランスは観客の頭や論点をきれいに整理して印象付け、お手本の様に綺麗な構成でした。
    それだけでも十分な質であるところに、そういう表向きの面白さに添えて…何かモヤッと裏を感じさせる空気に深みがある。

    伊藤と中尾の会話の…それこそ冒頭から続く「噛み合っている様で噛み合ってない感じ」。これに大いに含みが感じられる。
    …中尾の真意をどう解釈するかで作品の味が大きく変わる。

    特に中尾のセリフは「誰を…何を指して言っているのか…」がとても曖昧で、意味深となっている。

    同意している様でいて、伊藤とは逆のことを言っている様にも見える余白の広さ。
    …「出してたんだよ、前兆とかサインとか。」は、根拠もなく言っている一般論なのか、真実を知っていて皮肉っていたのか…。

    一学期にさぼったにしても、いつまでたっても採点が終わらない不自然さ。中尾はどこまで分かっていて、何を期待して、ヒントを振り撒き続けたのか。何らかの理由で真実を明かせぬ中尾が助けを求めるサイン…かとも思ったが、そこに最後の「証拠隠滅」である。

    あっさり読みが瓦解して見方を変える。
    「前兆やサインが読めない」と嘆く伊藤への慰めと擁護の言葉たち…それは思い遣りではなく、後に明るみになる失策の弁明と同情を求める行為ではないか…

    伊藤が自己保身に走らず、事態の理解と共に速やかに行動を起こしたことが、中尾には想定外だったのかもしれない。共者を発掘したつもりが…敵となった感じか?

    第四場で折り重ねられていく伊藤と中尾のセリフ。
    そこには「前兆やサインを読むことの難しさ」を嘆くというよりは、明らかに中尾の諦観・自己弁護・同情を求める心情が滲み出ている様な気がして、現場を知る者ならではの空気が漂っている気がしました。

    ■【アツモリ([東北代表]​ 遠藤雄史[トラブルカフェシアター])】
    地区代表だけあって非凡な仕掛けは少なくない。
    ・離婚届と見せかけるミスリード
    ・夫婦の対話をプロレスの攻防に準える趣向
    ・故人への思慕を象徴すると後から気づかせる「日記、電話の使い方」
    ・無理のないレフェリーの位置づけ

    オチも踏まえると「6年の歳月を重ねた上での自己完結」でしかないが、演出上は2人の対話で育まれていく結論は、存命中の生活から紡がれていた思考の総決算であり、流産経験とも重ね合わせた気づきの形成は…短編ならさほど違和感はなく、すっと納得できる。

    それでも、「夫の本当の意識の外からの、新たな気付きの転機が欲しい」という趣旨の審査員評はなるほどと唸ったな。

    こういう主軸の展開を彩る描写として、「プロレス」と「食」が使われた。

    「プロレスによる描写」は着想として良い切り口だが、如何せん序盤の「脇固めによる押印強要」のインパクトがピークで、後が形式的なマネに留まったのは残念。ほぼ、女優の個性で押し切ったに過ぎない印象で、本当は「夫婦の対話」と併せて本作の両輪になるべき「売り」だと思うので、もっと研究してシッカリした「見立て」にまで作り込んで欲しかった。空気は好きなんです。

    「食」については、タイトルに「アツモリ」が使われたり、夫婦の過去話が出てくるんだけど、小ネタ程度の印象しか残らなかった。…「生きるためにゴハンを食べよう」というセリフは良かったけど、それが活かされる空気はさほど感じられず、「プロレス」と「食」に手を拡げた結果として、双方中途半端で終わったのかも。個人的には「プロレス」に絞って磨いてくれた方が良かったな。

    さて、こういう本作の本質としての感想とは別にして、やはり震災をネタにする必要性はなかったのでは?という気持ちが先に出てしまう。

    一瞬で観客が事態を呑み込んでくれるというメリットがあるのは確かだが、それ故に思考も画一化されてしまう…語弊がありそうだけど…観る側に謎の圧力が生じる。意図せずとも、これに感動しない者は人に非ず的な圧力…。

    一方、審査側でもプロの矜持として「感傷に抗する心理」でより厳しい評価を促すのではないか。「必然性」に対する言及が多かったのにも、そういう背景があるのではないか。

    実際のところ、扱っているのが「震災でしか起こり得ない状況ではない」ことから、本当はこの設定を避けるのが得策だったと理性では思う。ただ、東北の人だからね… それでも…っていう想いは断ち難いのかもしれないね。

    ■【コミュニケットボール([関西代表] 福谷圭祐[匿名劇壇])】
    決勝に進んで欲しかった1作。かなり地味だが、言葉の扱いがとても繊細。ただしそれは文学的な繊細さでなく、科学的な繊細さだ。

    見た目バスケの謎の球技。名前だけ「コミュニケットボール」と明かされている。…そこに投入された3人の…言葉通りの苦悩のコミュニケーション。

    メンバー3人はそれなりの知り合いの様だが、知らない者同士のSNS上のコミュニケーションを感じさせる。言葉のキャッチボールが、どうにもスムーズに進まない。…その裏に感じ取れるのは、必ずしも稚拙さではない。

    「思い込みを廃し、言葉の他の可能性を無視せず、厳密さを求める気質」であり、使う場面を誤らなければ必ずしも悪い気質ではない。

    しかし社会生活においては、大概は「厳密に対象を定義されないと行動を起こせないタイプ」としてコミュニケーション不全を起こす。

    本質でない部分の曖昧さを許容して動けない一種の「発達障害」を思わせる。
    「パスってどっちの?」
    「いいよって、どっちの?」
    交わされる言葉は思わずハッとする一種の言葉遊びに映ることもある。

    本質を取り違えながら進む論理展開・議論の妙は面白く(ただし、コメディ的な空気はない。)、ゼロベースで考えた時に拡がる言葉の可能性も感じられる意外性もある。文脈で判断できないから同音異義語を交えて会話が出来ない。

    言葉の些細な定義にすごく敏感であることの派生として「さしたる意図の無い言葉」がNGワードになって、過剰に周囲の悪意を感じ取る。

    それらに晒されているうちに、会話の妙だけを味わっていた自分の気持ちに徐々に変化が起きた。

    3人は本当に必死だ。

    常人が感じる以上に厳しい針のムシロの上で、ぶつかり合い、せめぎあい、不平不満や皮肉を訴えながら、それでも誰かが関係を繋ぎとめようとする。「ずっと人との関わり避けてきて、うまく人と関われなくなっちゃって、どうしていいか分からなくなっちゃったから、ここに来たんでしょ?」、「こっちが行こうよ。」

    最後に、そこまで使っていた言葉の用法をミスリードさせて転機とし、…本当の意味での「言葉のパスまわし」が始まる。

    ささやかな結末…そしてささやかな一歩。

    この…観客の感情をほとんど煽ってこない演出で、決勝進出まであと1票のところまで票を集めた。

    惜しかったなぁ…2度味わいたかったよ。


    ■【怪盗パン ([東海代表] 渡山博崇[星の女子さん】
    敢えて人間味を遠ざけているかの様な演技。童話的な雰囲気で展開するそれは、生ける人形劇を想起させる。

    レ・ミゼラブルを下敷きにしている様でいて、心の奥底は正反対に乖離している気もする不思議な一作でした。
    …レ・ミゼラブルって原作をちゃんと読んだことないけど、改心したり、不変の愛を貫くイメージがあって…、でも本作では…同じ舞台で大筋をなぞっている様に見せかけて、絶妙に逆のことをしている気がするんだよなぁ。

    やっぱりキーワードは…「この足は小銭を踏んずけたままだ」だなぁ。当初は罪悪感なのかと思ったり、「更生の難しさ」みたいなものを描いているのかとも思ったが、何かそこにも違和感が残る。

    宗教的観念でいくら愛や正義を説こうとも、そんな単純じゃ済まないのが人間だ。…「どろぼう」にしか才がなかった男は、いったいどう生きていけば良かったのか。

    社会に圧殺され、ただ朽ちていくことに甘んじなければいけないのか…

    「足の裏の小銭」は…社会に対する…社会の価値観に対する違和感でもあるのかもしれない。…競争社会の中、限られたリソースの中、そのつもりが無くとも他人から何かを奪うことは普通に起きることだ…ただ社会のルールに…多数派の論理・倫理に則ってさえいれば、それが許容されるというだけのこと。
    自分の特性が反社会的であることの悲劇か。…一方で、その拘りから抜け出すことの難しさを表している気もした。

    実のところ拘っているのは本人だけ…
    過去を払拭できれば、忘れてしまいさえすれば、掴めた幸せ。一歩を踏み出す怖さ、難しさ。

    昇天し、遠のいていく小雪の服が印象的でした。

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    2018/01/06 14:20

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