満足度★★★★
2013年度に今回と同じ非シス人が上演した『青ひげ公の城』を観た後、図書館で借りて読んだ。
重層的な幻想と不条理めいた人物造形、そして何より印象に残るのは、詩的な言葉の連なりであった。
不条理演劇、魔術的リアリズム、などいくつかのキーワードが脳裏をよぎるけれど、たぶんそんなふうに名付けることにあまり意味はないのだろう。
以前観たとき、舞台監督と青ひげが表裏の関係なのではないか、と思ったが、今回はまた違うことを思った。
横井さん演じる衣装係の印象が強まって、幻想的な物語の向こうに、名前のない女優でも、七番目の妻でもユディットでもない、山本百合子の物語が確固たる輪郭を表す。
狭いアパートで兄と交わした言葉。街を行き交う人々に、それぞれの物語。
青ひげの城で繰り広げられる妖しく美しい人々の行いは、いなくなった照明係を探す少女の物語として再構築される。
第二の妻を演じた 葛たか喜代さんの凛々しく儚い中性的な佇まいが、物語の色合いをいっそう鮮やかに見せた。
物語がいつ始まりいつ終わるのか。どこまでが客席でどこからがステージなのか。虚構が現実を侵食するような仕掛けがふんだんに施された、観る者を安寧のうちから引き摺り出そうとするような、甘美な悪夢のような、そういう舞台。
もう一度、戯曲を読み返してみたくなった。