静かな海へ-MINAMATA- 公演情報 劇団未来「静かな海へ-MINAMATA-」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    劇団未来 静かな海へ-MINAMATA-
    静かに暮らす老夫婦と娘 星川一は水俣を初めて発見 勤務する会社チッソが原因 何十万の市民の生活 貧しい漁民に多い患者 実検結果が潰される 見えない大きな力 娘が父に対する 戦ってほしかった想い。涌井さんの始めの正義感 真っ直ぐな想いに 星川の言葉 “事実だけではだめ 信じさせる力がいる 涌井さん 力を蓄えて下さい 想いだけでは潰される 国を チッソを相手に戦えるのか” 正しい正義と勇気だけでは、正せない 不利益になる人達との争いに負けない力と情熱がいる。

    私は何も出来ないが、正しい正義 想いの詰まった裁判を見守りたい。12月19日午後4時から大坂高等裁判所第82号法廷(別館8F)

    ネタバレBOX

     舞台は段差20cmの3段のスペース。 天井が高く 小劇場で有りながら舞台セットのに階段 舞台上にスクリーンも違和感がない 無理の無い綺麗なセット 上演時間115分
    1962年5月 愛媛県 大洲 あなた お茶でも 植木のみかん 患者から 大和たちばな 珍しい 香りがいい 観賞用 そう言えば水俣にもありましたね。 みかん畑 良かったのかな。良かったですよ愛媛に戻って来て戻って来て 本当のあなたに。後悔はしていない 出来る事は全てした 長かったな 朝鮮 窒素 水俣 次に軍医 捕虜 また水俣 戦友だな お前と。 和子 写真 思い出 明後日迄には、かたずける 穏やかになった お父さん お母さん。お父さん。 なんだ やっぱ いいや それにしても、いい天気だね。今から思えば この頃が 一番 // 1956年4月 痙攣を起こした姉妹 村で多数 他の村でも 漁業をしている貧しい家 床が抜けそう 畳みにシラミがびっしり 手が痺れて 今は動けない 魚の多食 米を食べれない 猫も痙攣 犬 豚 カラスも 猫全滅 無くなった方8名 伝染病の噂も (スクリーンに当時の写真 新聞) 排水が海に流れる 病院長の父の立場が微妙に 工場医の父 1964年 3月 星川家 穏やかな日々も長くは続きませんでした // 追っ付け戻ると思います。 いらっしゃいませ 娘の和子です。黒潮 親潮 この流れが・・・ あっ 面白くないですよね。 妻の美也子です 水俣でお会いしたと 涌井さん。先生確かめていただきたい事 それで 先生はもう 水俣病は終わったと 塩化ビニールの工場勤めたのですが。 厚生省が原因は有機水銀 チッソからと結論付けるのは速いと アセトアルデヒト工程 チッソはまだ排水を垂れ流している 先生に確かめて貰いたいのです。静かに暮らしている 先生に、これはある所から私が書き写した物です。チッソの主張がひっくり返る。 これは・・・。美和子:涌井さん 何をしに来たんですか 私たちを巻き添えにしないで下さい 私達は、やっと この生活を手に入れたんです。お母さん あっち行こ。何も言えない状況で。私は父の疑念がありました 父は何故 研究をせずに。・・・ 。父の言葉が 父の想いを。7年前 工場長室 先般の奇病対策協議会でたがが漁民の前で うちの原因がないか 一刻も速い解決、急にふってわいたように。そんな言い回しは困る。先生はどうされたいと。熊本大学では、私を会社の犬だと 最近は反論の実検ばかりで 原因の実検が出来ない。 星川先生うちの排水が原因と考えて、やってもらいましょう 但し結果成果は会社に帰属する それで良いですね。当時 父はいつも辞表を忍ばせていた。 // 1959年7月 5年前 塩化ビニール工程とアセトアルデヒト工程の排水を猫に与える 1959年10月猫400号が水俣病発症。工場長 大変な事が起こった 明らかな証拠 1959年11月工場長室 実検は間違いだと決まった たった一例では、星川先生 今がどういう事が起こっているか 漁民の工場乱入 もしかしたら先生が正しいかも、会社はいくらでも そんな事は潰せる プラスチックやビニール これなしでは国の再興もあり得ない。私は社員の前に医者 潰せる それでも。先生には、残って貰いたい。400号実検は無いことにされた。チッソは解決金 見舞金で有利な解決をしていった // 1960年5月 工場長室 御栄転 おめでとうございます。何でしょう 400号以降の実検の許可を、技術部長も横浜に 私がここに居る意味が無くなる 次の工場長には伝えておきます。 商店街 子供 何処を見ても解決。再実検 4例とも発症。// 涌井さんが持って来たのは社外秘の報告書 アセトアルデヒト工程で無機が有機になる 間違っている所が有れば教えてください。私達が書いた再実検の物 5年前に解っていた そのすぐ後に見舞金 和解金。 // なんてことを 大変な事 先生は当時会社の人間 涌井さん 勇気だけではだめなんです 2匹を東大の先生に送った 助教授から紛失したと 事実だけではだめ 信じさせる力がいる 涌井さん 力を蓄えて下さい 想いだけでは潰される 国を チッソを相手に戦えるのかと // 母 美也子:和子 ありがとう 涌井さんに失礼な事 止めてくれて 父さんの事 今も苦しんでいる 死んでいる 父さんが事実を言っていたら止められた この町で何も変わらない 人を殺しているのと同じじゃない。パン(母が娘をたたく)。 // 工場が無くなれば何千何万の人間が生きて行けなくなる 比べられない 決められずに ここまで来てしまったんだ // 年も入れ替わり 1965年6月 新潟に水俣病を発見 阿賀野川流域 速く手を打たないと 涌井さん:先生一緒に新潟へ行きましょう。犬や猫に何か?。去年。その猫 涎 震え とび跳ねる 見たのか。流れのある川で 西沢さん専務を訪れた 父を追い返した。上流に昭和電工 4大公害 四日市喘息 イタイイタイ病 訴訟。滝川先生に送りましたよ これから訴訟 美也子:場合によっては証言。 // 結婚してから40年 四国88箇所めぐり いつか。行けない 実は肺癌 末期の。あなた。報いるために この命を持たさないと 1970年 入院 父からのダンボール 水俣の資料 1970年5月 東京 裁判 苦戦 予見出来ない事は避ける事が出来ない。勇気のない私は、涌井くんが救ってくれた 証言 しかし熊本迄 行けない 少しでも速くここで 何も残せなければ、良かった これであの人達を見捨てずにすむ 元気でいますかね、私にもう少し勇気が有りましたらね、1970年7月 臨床尋問 400号鑑定のノートは、 すると 技術部の方も見た。予見が出来なかった と言う事を覆した 1970年10月13日 64年の生涯を閉じました。有機水銀は海に流れますね。 はい。

    裁判 新聞 チッソに過失責任 見舞金を廃止 原告の全面勝訴 あの静かな海も喜んでいる 涌井さんが来て あの日のから9年 生っている ほんとだ やっと 縁起の良い木だと。 いいのよ まず一つ 水俣条約 賠償を受けられない患者さん まだ終わっていない。

    静かに暮らす老夫婦と娘 星川一は水俣を初めて発見 勤務する会社チッソが原因 何十万の市民の生活 貧しい漁民に多い患者 実検結果が潰される 見えない大きな力 娘が父に対する 戦ってほしかった想い。涌井さんの始めの正義感 真っ直ぐな想いに 星川の言葉 “事実だけではだめ 信じさせる力がいる 涌井さん 力を蓄えて下さい 想いだけでは潰される 国を チッソを相手に戦えるのか” 正しい正義と勇気だけでは、正せない 不利益になる人達との争いに負けない力と情熱がいる。

    私は何も出来ないが、正しい正義 想いの詰まった裁判を見守りたい。12月19日午後4時から大坂高等裁判所第82号法廷(別館8F)

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    2017/12/09 16:52

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  • tomiさん、クチコミありがとうございます。
    お話のハイライトを拝見した気持ちです!
    星川医師、娘の和子、涌井それぞれの熱い想いを受け取って頂けたようで嬉しいです。
    ご来場ありがとうございました。
    どうぞ、良いお年をお迎え下さいませ。

    2017/12/29 21:36

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