グランパと赤い塔 公演情報 青☆組「グランパと赤い塔」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    思いつくままに「ネタバレ」に長ーーーく書きました。よろしかったらお付き合いください。

    ネタバレBOX

    なんとも幸せな135分だった。
    そこに生きる人たちの姿は、人を信じること、自分を信じること、人生を信じること、未来を信じることの大切さ、そして家族の愛しさを思い出させてくれた。
    人にはドラマがある。
    目に見え、語られるものばかりではなく、心の奥底にしまわれているものもあれば、そこにはいない人たちとの関わりの中にもある。
    離れて生活する家族の元に届けられる荷物から愛が溢れ出す。
    それは家族本人だけでなく、その周囲にいる人へも向けられる。
    そうした愛の連鎖が、人の営みの過ちや不幸を浄化すると信じさせてくれる豊かさに満ちた135分について、思いつくままに書き連ねてみたい。

    昭和の東京オリンピック前後の高度成長期の日本。
    敗戦国としてうちひしがれ、世界での地位向上を目指して焼け野原から立ち上がり駆け上る姿が逞しく、そして微笑ましく、でもどこか愁いを帯びて映る人たち。
    そんな時代の愛しい人々の姿がノスタルジックに浮かび上がる。
    作演出の吉田小夏さんが、曾お婆様からお母様までの家族の出来事をモデルに書かれた作品。
    全編を通して流れる柔らかな空気は、演出家としての吉田小夏さんの姿勢そのものだ。
    劇団の企画で稽古場見学の機会を戴いたとき、そこは優しさに満ちた人肌の温もりのような空気に包まれていた。
    小夏さんはまるで保育士のように俳優さんと作品を見つめ、スタッフさんとは文字通りそれを育てる仲間として見守っていた。
    稽古のトライアンドエラーにおけるリクエストも、世の巨匠と呼ばれる人が世間にもたらした演出家のイメージとはかけ離れ、シンプルで明確でありながら、実にソフトだった。
    産み落とされた作品は、確かにその延長線上に立ち上がり、携わる全ての人の愛が芳醇に香っている。

    劇場に組まれた美術は、まるで生まれ育った家が帰省した自分を迎えてくれているかのように温かく美しかった。
    稽古場のあの平面にバミられた空想の世界は、見事なセットが組まれて、人が憩うかけがえのない家となってそこに確かに存在した。
    豪邸であるけれど派手ではなく、豊かさと謙虚さが同居して嫌味がない。
    これは、今作品において共感を呼ぶ胆であるように思う。
    そして細部まで行き届いた照明の美しさが、家が有する幸福と、人々の機微を照らし出す。
    一場ラストの僅かな時間の微かな明かりの変化が、確実に世界を変えてみせた。
    それは、きめ細かな演出力とスタッフの技術の高さの賜物である。
    衣装やメイクも時代を映し出す大きな要素。
    高度成長を支える男たちの労働着、気品と華やかさのある女たちの着物、慎ましい割烹着、モダンで艶やかな洋服…どれも美しかった。
    音楽は、特に歌への思いが明白だった。
    これまでの作品も然り、吉田小夏さんはBGMよりも生の歌声に価値を見い出しているに違いない。
    劇中のクリスマス会で歌われたあの歌は、稽古場見学の時にたくさん拝聴した唱歌『冬景色』だった。稽古のウォーミングアップで歌われたその曲に、こんな形で再会するとは思わずにいたので、まさにクリスマスプレゼントを戴いたような喜びに浸っている。

    一つの家での二つの時間が紡がれる。
    そこにずっといるのは女中のカズコの大西玲子さんただ一人。
    その間にグランパとグランマ、運転手のコタロウは他界し、この家ももうすぐ取り壊される。
    おそらくそれは戦後という時代の終焉と、高度成長の完成期となる時代の幕開けそのものだ。
    今作品を牽引しているのは紛れもなく大西玲子さん。
    これは視線のお芝居だと思う。
    それを大西さんが体現している。
    ところどころで慈愛に満ちた柔らかな眼差しや、「うふふ」を含んだお茶目な眼差し、時には苛立ちを押し隠そうとする強さも瞳に宿す。
    最後?のお見合い相手が我が同業者だったことに胸を痛めるとともに、国語教師にあるまじき目の曇りように情けなくなる…ごめんなさい。
    今泉舞さん演じるトモエが、両親への愛情欲求が満たされずに彼女の膝枕で呟く台詞がカズコの豊かさを表している。

    一番好きなシーンは、小瀧万梨子さん演じる社交ダンス講師でBarの女ハルが、藤川修二さん演じる酔っ払いのコタロウを介抱する場面。
    これも膝枕だ。
    吉田小夏さんの作品には、水商売などの「夜の女」がよく登場する。
    彼女たちに共通するのは粋で鯔背。
    陰はあっても決してイヤらしさはなく、看板花魁のような眩しさを纏っている。
    そう、彼女たちは女神なんだ。
    男女平等を謳うウーマンリヴの現代社会ではお叱りを受けかねないが、彼女たちの立ち居振る舞いは美しい。
    女性の地位向上は必要だし、そうあるべきで異存はない。
    それでも彼女たちはオトコのプライドを上手に立てて、イイ心持ちにしてくれる。
    それでいて手が届きそうで届かない、少し高嶺の花のマドンナの距離に居る。
    なんとも男心を擽られる。
    彼女たちの描かれ方には、作家吉田小夏さんからのリスペクトが感じ取れる。
    容姿だけではない女性の美しさ、気配りやゆかしさに敬意を持って女流作家が書いていることに、むしろ女性としての誇りを感じて嬉しく思う。
    今回の小瀧万梨子さんの巻き髪や口紅も、鼓動を早める艶やかさがある。
    同時に、あの少し鼻を膨らませて口を尖らせた「おほほ」や「あらま」が溢れる表情が堪らなくチャーミング。
    これだけ男心を擽られたら惚れずにいられる術はない。

    最も泣けたのは女中ミヨと鳶の技術者コバヤシとの求婚を受けられない身の上話。
    三人娘を持つ父としては、ミヨの父の気持ちが痛いほど解って苦しい。
    二人の娘を連れて過ごした特別な時間の幸福と、アレに遭遇してしまった地獄。
    戦争の是非や、加害被害の立場を超越して、語り継がなければいけないものがあることを突きつける。
    ミヨの石田迪子さんの健気さと、コバヤシの竜史さんの一途さや実直さが胸を締め付ける。彼女を追うコバヤシの姿と、数年後の時間にミヨはいないことで、人生に負い目を感じている二人が幸せになってくれていると願う。
    流れた時間以上に戦後から遠く離れてしまったこの日本は、いつのまにかまた戦前に入ってしまっているのかもしれない。
    あの大戦を生き抜いた方々から直接お話を伺える時間は、もうそれほど残されていない。
    今夏の中学一年生への宿題は「戦争体験者にインタヴューして新聞を書く」にした。
    彼らには、この国が過ちを繰り返さないよう次世代に語り継ぐ役割を担って欲しいと思っている。
    だから、あのシーンのメッセージは胸の深いところまで突き刺さった。

    グランパの佐藤滋さんとグランマの福寿奈央さんを観て、やはり金は稼がなきゃダメだなと実感する。
    金銭的余裕は心にゆとりを生み、人に優しくできる器を作る。
    グランパの懐の深さは人を魅了する。
    その姿から「男とは…」という永遠の命題に思いをめぐらせている。
    大きな要素の一つは、男気と女心の掌握力にあると思う。
    部下の成長を願うこと、仕事を任せること、部下の失敗を黙し責任を負うこと、言い訳や言い逃れをしないこと...そうした全てがグランパから中間管理職キムラ(吉澤宙彦さん)へ、若手技士ササキ(有吉宣人さん)へと受け継がれていく。
    人は期待されれば意気に感じて頑張り成果を上げるもの。
    役(責任ある立場)が人を育てるという。
    人を育て、組織を育てるとはこういうことなんだ。
    やたら「報・連・相」だと言って全てを把握したがる管理職の下で、人が育つはずがない。
    現代の日本にどれほどのグランパがいるだろう。
    重箱の隅の汚れを寄って集って突き吊し上げ、スケープゴートを求める現代。
    マスコミ、ネットが作り上げたこの状況を憂うばかり。
    彼らから、見習うべき男気が匂い立つ。
    本物の男には素敵な女性が寄り添っているもの。
    できる男に連れ添う女は、やはり気風がいい。
    家族を救うために退職金の前払いを申し出たキムラに、瞬時に承諾するグランマの姿に器の大きさを感じる。
    それはある種「極道の妻」ばりの格好良さだ。

    登場する三世代の真ん中のタカコを福寿奈央さんと演じ分ける土屋杏文さん。
    同一人物であることを思いながら観るのも楽しい。
    大先輩と役を作るプレッシャーは如何ばかりか…と親心のようなものが芽生えたりもするが、これもグランパの会社同様の、劇団の男気、いや親心ではなかろうか。
    期待に応えるように成長し、やがて柱となっていくのだろう。
    教育や育成の壮大な夢計画…の実現を感じる。

    最も心がざわついたのは、今泉舞さん演じる幼いトモエが父ジロウの細身慎之介さんからビンタを受ける場面。
    幼い娘が叩かれるだけでざわつくのに、あんなにカワイイ娘なのだから余計にいたたまれない。
    ましてや悪気がない失敗なのだから尚更だ。
    今ならすぐにDVだなんだと大騒ぎになる。
    ただ、ジロウも真っ直ぐな男で、その主張も解らないではないというギリギリを攻めてくる。
    その上、トモエの素晴らしさを盛大に褒め称えてみたりするのだから面倒だ。
    マスオさん的なポジションのジロウの、その面倒くささをみんなが受け入れている希有な家庭という小さな社会。
    刺々した空気を中和してくれていたのが代田正彦さんのマツシマと、田村元さんのヤマムラ医師。
    何よりトモエの可愛らしさを見事に演じきる今泉舞さんに脱帽するしかない。
    グランパと並んで双眼鏡を覗く時に脚を肩幅に開き、はしゃぎながらも囁くように返事する様子が堪らない。
    彼女の可愛らしさをMAXに引き出した、小夏さんの見事なリクエストの勝利と言えるだろう。


    「言葉はレンズと同じだ」という台詞に勇気を貰った。
    遠くにある見たいモノを大きく見せてくれる魔法。
    どんよりとしてボンヤリとしている靄の向こうにあるモノを捉えてくれる魔法。
    そのモノはきっと明るい未来であり、希望であり、叶えるべき夢だ。
    それを捉えるために言葉を磨かなければいけないことを教えてくれる。
    悩める中学校国語教師の背中を押してくれていると勝手に解釈している。
    ありがとう。


    明日もう一度、素晴らしい作品と135分過ごせる喜びに胸を躍らせている。
    そんな中で唯一、欲を言わせて戴くなら、グランパと呼ばせる理由はもう少し違った形で明かされたいなぁと思う。

    さぁ、おさらいだ。
    もう少し頑張って生きなきゃな。

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    2017/11/25 21:26

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