満足度★★★★
宮澤賢治もの、である。没後そろそろ百年にもなるというのに、この作家は衰えぬ人気がある。生前に恵まれなかったと言う事もあろうが、同じ啄木と違って純なところが万人向けなのだ。それだけに扱うのもむつかしく、下手にいじると世論の反撃を食うので、いつも、賢治は不遇の神格化、作品は永遠のファンタジーと言う作りが多かった。
数えきれないくらいの賢治ものが書かれている中で、今生きている劇作は井上ひさしの作品が最も親しいものだが、それも、作者も作品も大団円にうまくまとめたという感じだ。
その中であえて、平成の新進作家の挑戦はいかに?と見物に出かけたが、これが今までの賢治ものにないなかなかの出来なのである。
赤坂の小劇場一杯に組まれたのは遠野市と釜石の間の仙人峠の鉄道未通区間に置かれた駅舎兼旅籠。あらしで不通になったところで、賢治などの旅客が過ごす3日間の物語である。賢治は死の直前の36歳。ロシア革命の年で世界情勢はこの峠まで及んでいる。宿の客は5人、パタン化した役振りなのだがその臭さがない。宿の亭主と亡くなった息子の嫁が切り回す峠の宿もよくある劇的設定なのだが、いつもは型どおりになったりする亭主役の佐藤誓と嫁の石村みかが、役柄をよく抑えて快演(どこかで演技賞でもとりそうなできである)、それにつられて他の俳優陣もよく大正時代の空気を無理なく出している。売られる農村の娘役の神保有輝実も湿っぽくないところがいい。この芝居の成功は殆どそういう時代の中でやむなく生きている都市化し始めた農村社会の人々を,性急に台詞で声高に「社会化」していないところにある。そのために、こういう人たちの中で、賢治のありようが、神格化もファンタジー化もされないで素直にひとつの時代の作家として描かれることになっている。
戦前から続く日本の新劇の伝統の上に立った作品ながら、今の時代にも通じるように書かれている快作で、もうこういう作品を書く人は出てこないだろうと思っていたので大いに感心した。新劇の伝統と言うと古めかしい正邪宣伝の社会劇を連想するが、新劇でも今でも面白く出来る作品はあるし、基盤としたリアリズムはやはり現代劇の基礎となるものだ。
演出は奇をてらわずオーソドックスだが、うまくまとめている。