鼻 公演情報 文学座「」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    2015年別役実フェスティバルの発起人にして別役作品未演出、昴で初演出した鵜山仁が、今度は実家である文学座でじっくり取り組んだ舞台、と言えるのだろう。
    今や老優江守徹、間を取り持たせるかのように渡辺徹、主要な役に栗田桃子、得丸伸二を配して一定の成果をあげていた。
    一方で別役作品を上演してきた劇団の伝統(具体的には俳優の「立ち方」)があり、一方で鵜山仁の演出家としての主張がある。
    鵜山氏の主張とは、私の見方では、劇的カタルシスだ。演劇における特別な瞬間を求めて、今もしこしこと演劇を続けている・・的なコメントがパンフにあったのも、その感想を補強するものだ。「感動する別役実」・・初めての体験だ。
    もちろん、他の作品にもある種の感動はあるのだが、考えたいのは今回の「感動」の種類について。
    『鼻』ではシラノ・ド・ベルジュラックの舞台に立った「将軍」の過去が、種明かしのように露呈した終盤、彼は朗々とシラノの台詞を詠ずる。その舞台を今そこに観るという形で、感動の瞬間がその場に立ち上る按配である。
    だが、かつて文学座でもシラノを演じた江守徹という俳優を舞台上に配して、ノスタルジーの仕掛けを周到に準備している事は演出意図による。江守徹がシラノの台詞を発する時だけ、栗田演じる女がそばに居て、微かな声でプロンプを入れていた(別の時にはそうしなかった)のも、演出意図だろう。お芝居の台詞だから老人に女が台詞を教えてやる、という設定でも芝居(本体)は成り立つ訳であり、それだけでなく、江守のリアルな身体とあいまってある種の哀愁が漂い、感動さえ沸き起こす。そこへ、これは終演後に知ったが、女の母(だと信じている女)が実はかつてシラノの相手役をやった女性で、病院内の離れた棟からその役の台詞を言うのが響いてくるその声が『鼻』初演で演じた杉村春子のものである事も、演出意図である。

    鵜山仁がこの別役テキストを、ノスタルジーという共鳴装置に変じて何を打ち出そうとしたのか、と考えてみるとよく判らないが、ノスタルジー=感動だからそれでよいのかも知れない。ただ、懐古趣味に終わって良しとされるのはやはり文学座という、層の厚い演劇界の累年トップランナーならでは、なのかも知れない。

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    2017/11/10 02:36

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