満足度★★★★
鑑賞日2017/09/25 (月) 13:00
価格1,300円
劇中の地の設定と劇中で撮影しているAV内の設定との境界を曖昧にすることで観ている側を煙に巻くトリッキーな構造が面白い。いわば「内部で完結するメタフィクション」?
ある人物が終始やっていることでそれは増強されラストのアレは1つの解答?
虚構と現実とメタフィクションとか、入れ子構造/層構造とか、無限連鎖/合せ鏡とか、M.C.エッシャーの作品とか好きなのだが、それらの類似性に気付く大きなヒントになった気がする。
一人二役や劇中劇が入る芝居においては観客にどちらかワカるよう明確に演じ分けるのが基本だが、本作では違う人物なのかAV内の設定キャラなのか曖昧にして「どっちだ?」と思わせるし、地の芝居的な場でもカメラを回す人物がいて撮影?なのがキモ。
どの場であっても「これももしかしてそういう設定の撮影?」というループで、そう言えばチラシのモチーフも合せ鏡だし、劇中の虚構と現実の継ぎ目がワカらないのはあたかもクラインの壷(岡嶋二人の小説ではなくそのモチーフとなった内外の境がない容器)の如し。
またその、「これは撮影?」な状況は無限に続き、それがM.C.エッシャーの作品に通ずるようにも思ったのだった。