田園にくちづけ 公演情報 ブルドッキングヘッドロック「田園にくちづけ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    公演が終了していますので、気にしなくていいのかもしれませんが、とにかく長い感想を書きましたので「ネタバレBOX」の方にUPします。よろしかったらお付き合いくださいませ。

    ネタバレBOX

    「記憶は思い出す度に強化され、思い出し味わい直すほど鮮明になる。」
    そんな台詞があった。
    千秋楽から三週間が経ち、消えずに積もった思いは、熟成され旨味を増したと感じている。
    そして、大きく二つの思いが発酵し始め芳醇な香りを広げている。
    食と家族のことと、マイノリティとコミュニティのこと。
    それを今、味わい直してみたい。


    「くちづけ」…憧れのkiss。
    なのにそれが、口を付ける=食事をする…でしかない美男美女が現れたら…。これは文化の違いによるカルチャーショックの比では無い。
    さらにそれを「美味しい」とか「不味い」と評価されたら、我々は「上手い」と「下手」のテクニックの問題だと勘違いする。
    それはもう、アイデンティティを揺るがす大問題だ。
    そんなギャップが、世の中の「常識」や「当たり前」や「普通」、そして「道徳」や「倫理」といった物差しに個人差があることを突きつける。理解しようとしても埋まらないその感覚に「正義」の判断が伴った時、生じる摩擦は大いに人を苦しめる。
    相手を大切に思う人物のその姿は痛々しく、胸を締め付けられる思いがした。


    懐かしい味…田舎の味…おふくろの味。
    どれも旨いものとして好意的に響く。もしそれが、かなり残念な味だったら、それはやはり不幸なことなのだろうか。
    食事の栄養が身体を作るのと同じように、母親の手料理が心を作るのかもしれない。
    他界した我が母の料理(新メニュー)は最初が一番旨かった。
    何度か作っているうちにいろんな手を加え始める。だんだんと味が変わっていき残念に思ったことを思い出した。
    でもそれは不幸ではなかった。
    母も幹枝(深澤千有紀さん)も、おそらく同じ気持ちなのだと思う。
    「作ってくれてるんで」という息子(浦嶋建太さん)と夫(永井秀樹さん)は黙って食べる。残念な味は大量の調味料で包み込んで。
    娘(山田桃子さん)は反抗期でジャンクフードばかりに手を出し幹枝の怒りを買ってしまう。
    そんな彼女が、兄を誘惑する女にクギを刺すのは、同じ「家族を思う」気持ちに他ならない。
    これは全て「愛ある残念な味の母の手料理」によって育まれたもの。
    農家を継いだこの次男夫婦と他界した父親が暮らした田園の中にある「家」が、かつてあった日本の家庭の姿として温もりを持って迫ってくる。そこに家長としての男の自負のようなものも感じる。
    次男でありながら兼業農家として家と田を守ってきた草次(永井秀樹さん)の毎日の葛藤や、父への尊敬の念と喪失感が、冒頭の、縁側に座り空を眺める抜け殻のような姿に凝縮されている。
    その背中を見つめる人たち。
    あの、時が止まったような静かなシーンがなんとも美しかった。
    伏せっていた父が他界した日から物語は始まったが、この父の存在感がなんとも偉大だ。それはまるで、大きな愛でできた蚊帳で家族を包み込んでいるよう。
    自由気ままに蚊帳から転がり出てしまった長男(吉増裕士さん)も、実はまだその中にいる。長男に代わって家を継いだ草次が、兄を立てつつも心配している姿の中に父の思いも映る。
    奥手の三男(寺井義貴さん)の恋愛を見守るのも同じこと。
    こうした姿が、新米で握った塩むすびにだけは「余計なことはするな」と嫁に唯一の注文を付けた亡き父の大きな愛情を浮かび上がらせる。
    ラストの草次の「うまい…」に深みと味わいを与える。
    日本人は、やはり米だ…と思う。


    「田園」…の風景は、肥よくな土壌に育った広大な田畑を思い浮かべる。
    それは、東京と地方との格差の問題への警鐘も含まれているように思う。
    居心地の良さは距離に関係する。物理的な距離と心の距離。
    その距離と心地良さは比例しているとは限らない。
    年齢によってもその感じ方は違うものだし、一定であるはずもない。
    そこで必要なのは言葉であり、言語だ。標準語は無機質でカラッとしているように感じる。それに対し方言や訛りは何だか人肌の温もりを感じる。電車に乗って帰省する時、故郷に近づくにつれて車内の空気が変わってきて『嗚呼、帰ってきたなぁ』と感じるのは、そこで交わされる言葉の変化によるものだ。
    この作品には三者がいる。
    ずっと田舎に居る者、田舎を出て東京へ行き戻ってきた者、東京から来た者。
    それぞれが違和感や疎外感を感じるのは仕方ない。同じ立場の者に親近感や安心を抱くのも人情である。
    田舎は隣の家までの物理的な距離は遠いだろう。けれども心の距離が何とも近い。それを東京から戻ってきた者が最も強く感じているに違いない。
    作品の視点であろう草次の息子の耕太(浦嶋建太さん)はそれを好意的に感じているように思う。
    三男の竹三の見合い相手でミステリアスな空気を纏う美女の伊織(山本真由美さん)は、嬉しさと違和感を感じているように見える。
    孤独の闇を持つ彼女は東京に戻るのか、ここに残るのか。それが正に地域格差への回答のように思う。何を選択したとしても、寂しさの滲む伊織の幸せを願わずにはいられない。


    くちづけが食事の日暮(吉川純広さん)と穂波(葛堂里奈さん)は、ある意味奇病を持っていると言える。あるいは記憶を餌にするエイリアン的な未確認生物。実際の設定はわからない。
    彼らは身を隠して生きることを強いられる逃亡者に近い。それはかつてのハンセン病や、最近ならHIVなど。日常で言えばイジメもそれだし、歴史的には身分制度や同和問題もそうだ。さらには同性愛や性同一性障害なども含むマイノリティの苦しみにも思えた。
    彼らの未来を案じる川面(瓜生和成さん)が「特殊な生き物だと思われながら暮らす…」ことの苦しみを案じ、「そんな目で見ないでいただきたい」と静かに、それでいて揺るぎない強さで話す言葉が、小さな棘のように胸に刺さり、ゆっくりと確実に深いところへ沈み化膿し始めている。
    学校教育の現場には、普通学級と特別支援学級のボーダーにいる児童生徒が少なからずいる。その児童生徒本人ばかりでなく、家族が「そんな目」に対してどれほど恐れているのかを、理解しているつもりで全く寄り添えていなかったのではないかと恐くなった。
    川面は「おっぱいをあげるような感覚」と表現した。親身になることをこれ以上的確に捉えた言葉はないだろう。
    我が家に双子の娘が生まれたとき、彼女たちは2000gそこそこの未熟児で保育器に入っていた。周りのベビーベッドには健康そうな赤ちゃんが並び、その家族や親族がガラス越しに嬉々として眺めている。そこで保育器を覗き込み、未熟児の父がいるとは知らずに憐れむ。その声を聞き空気を感じながら『いやいや全然大丈夫だから』と思うのと同時に、「そんな目」で見られていることに僅かな苛立ちと、彼女たちへの不憫さを感じたのを思い出した。


    千秋楽のカーテンコールで、客演の永井秀樹さんに呼び出された主宰の喜安浩平さんの挨拶が、劇団の現在地を示しつつ、活動の姿勢を伝える素敵なものだった。
    客演の功績を讃えた上で、劇団員の頑張りと成長を喜び、今作に出演していない俳優の作品に関わる姿勢と、スタッフの力を誇る言葉から、井出内家の家長として一家を見守った父のように大きな蚊帳で包み込む劇団への愛を感じた。
    美しいセットと照明と音響の中で、キャストが確かに活き活きと生きていた。優れた俳優を招いて上演すれば、どうしたって劇団員が割を食う。それはいたしかたない。だからこそ、短い出演時間であっても存在感を示し得る役柄を劇団員に当て書きする喜安さんの脚本と演出に敬服する。
    冒頭の鉄矢(竹内健史さん)がその最たるもの。あのカレーの話しから腰砕けで膝から崩れ落ちるまでの日暮とのシーンに、今作で展開される全てのきっかけが詰まっている。あっという間に客席が作品世界に飲み込まれていく圧倒的なエネルギーを感じた。
    劇団員の一人ひとりがまた、作品に貢献すべく様々な仕掛けを施していて、隅々までご馳走が詰まったおせち料理に仕上がっていた。
    例えば、出落ち的な風貌で切り込んできた真木志(高橋龍児さん)は庭に吐き出された浅漬けを弔い、生徒の穂波に心奪われた常川先生(猪爪尚紀さん)は川面の追求から逃れる去り際に襖の間から僅かな視線の動きで後ろ髪引かれる思いを可視化した。
    一人ひとり挙げていけばきりがない。
    そうした劇団員が持ち寄った燦めきの粒が、作品に力を与え輝かせていた。
    特筆すべきは、今回出演されなかった劇団員が劇場グッズコーナーに立ったばかりでなく、稽古期間に街へ繰り出しフライヤーを手渡すイベントを何度も行っている。
    もちろんフライヤーは永井幸子さんのデザイン。ビジュアル的に目を引く素晴らしい出来映えであるのは言うまでもないが、公演を観てから改めて見ると、その的を射た見事な作品である事実に驚愕する。ちなみに赤い唇の美女は…吉川純広さんであることにさらに驚愕。
    畏れ入った。


    長々と書いた。
    書き始めてから既に三日が経つ。
    それでもまだ書き切れなかった思いはあるし、うまく言葉にできていない感も拭いきれないが、それはもう仕方ない。
    とにかく、随分と久しぶりに、公演を観て心に刺さったものや染み出てきた思いを書き残しておきたいと思う作品だった。
    食卓を囲む家族を舞台に、優しさと可笑しみをちりばめ、劇団員の総力が結集された秀逸な作品『田園にくちづけ』。
    おかわりを下さい。

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    2017/10/23 00:35

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