「月いち座布団劇場 十月篇」 公演情報 占子の兎「「月いち座布団劇場 十月篇」」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

     3月から始まった今年の月一座布団劇場、半年で六回の公演も今回で今年度最後の公演となる。総勢10名出演の舞台となるが、本日1日のマチソワ公演のみである。演目は、上演順に「くやみ」「子は鎹」「掛取り」の三話。来年のことを言えば鬼が笑うというが、それはさておき来年三月以降にも月一座布団劇場上演の予定があるという。楽しみに待とう。

    ネタバレBOX

     第一話は、冠婚葬祭のうちその人物の人生最後の儀式であるが、無論、通夜、葬儀の席には、多くの関係者が列席して悔やみを連ねる。然るに本当に故人の死を嘆く者はごくわずかであろう。厳粛な儀式であることを要請されるので弔問に訪れた人々は口々に神妙な口ぶり態度で悔やみを述べる訳だが、内心では全然別のことを考えていてもおかしくない。今作は、堅苦しい儀式に纏わるこんな人間の赤裸々な事象を嗤いに託して批評した作品とも取れる。そうとれば、かなり辛辣な作品である。在る者はのろけ、或いは自分の商売の宣伝をし、また別の者は縷々己の主義主張を述べる。厳粛であるべき今生の別れをする儀式で。而も仏は皆の面倒を看、皆から慕われてきた人格者だというのにこの様。まったく処置なしと嘆くより先に、このように鋭い批評意識で落語化し、茶化して見せる魂の健全さを持つ者の存在あるということが救いである。笑いとは何より鋭い批評であるという、笑いの原点が示された作品と言えよう。
     第二話は、腕の良い職人だが、無類の酒好きで而も酒乱の職人、熊五郎が出来た女房と可愛い子を追い出し、吉原の女を連れ込んだものの、己の罪に漸く気付き酒を断って3年、偶々、頼まれた仕事で木場へ向かう途中、息子の金坊に出会い、この子が鎹となって復縁を遂げるまでの話だが、訳あって2歳の時から親を信ずることができなくなり以来家族という概念に縁遠い自分でもホロリとさせられるような良い話である。何より、熊五郎役が良い。如何にも腕の良い、下町の気の利いた職人の風情が良く出ている。金坊役もそのヘアスタイルと童顔が似合って良いキャスティングである。女房のしっかり者としての気性と当時の日本女性の一歩引いて男を立てる価値観もかなりキチンと再現されている。フェミニズムの機械的支持者にはお叱りを蒙るかも知れないが、身体の物理的強弱の問題が完全に平準化されない限り、弱い側が、身体的強弱以外の方法で、伍してゆく為に様々な方法で対峙する以外、対抗することは本質的に無理を伴う。
    第三話は、掛取り即ち借金取りの話だ。江戸時代は大晦日に借金の取り立てが出来なければ、その借金は確かチャラになって翌年から再度、借金0状態から始められたと思う。その流れがあって、借金を取り立てる者、支払いを拒みたい者の攻防には凄まじいものがあった。そんな訳で、このネタは多くの落語、笑話のネタとなっている。今作では、矢張り、金に詰まって、今年の支払い拒否の言い訳をどうしたものかと女房に言い募られている男が、この難局を如何に切り抜けるかを記した笑話になっている。
     借金取り撃退に去年は夫が死んだことにした。棺桶を持ち込んで、その前で女房に嘘泣きをさせたのである。素人に涙が簡単に出せる訳ではないから、女房は、茶の雫を目の下に付けて演じていたのであるが、ある借金取りには「泣き真似はもっと上手にやった方が良い」と言われてしまう。確かめてみると頬に茶葉が付いていた、とか。大家が気の毒に思って香典をくれたのを女房は正月を迎えれば、死んだハズの亭主が直ぐぴんぴんと起き上がってくるのが分かり切っている手前、受け取ることが出来ずにお返ししますと押し問答をしている時、棺桶の蓋がガラリと開いて夫が飛び出してきたものだから大家はびっくり仰天、下駄も履かずに逃げ出してしまった。今年も同じ手は使えない、と今年は相手の好きなもの・ことを肴に話を盛り上げて誤魔化そうということになった。大家は狂歌が大好き、魚屋は喧嘩が好き、三橋は三橋美智也が大好きということで、大家には狂歌談義を魚屋には喧嘩腰の談判を、そして三橋には美智也の歌を替え歌にしたりしながら、総て追い返す。このピカレスクロマンを洒落で構成したような痛快が何ともいえない。

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    2017/10/12 02:19

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