金色夜叉『ゴールデンデビルVSフランケンシュタイン』 公演情報 劇団ドガドガプラス「金色夜叉『ゴールデンデビルVSフランケンシュタイン』」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

     今回、寛一役で初の主演を務める中瀬古 健、二場で泣かせる科白を吐く宮役の古野 あきほ、演技の質がひと回り大きくなり存在感を増した女高利貸し・赤樫 満枝役のゆうき 梨菜、マッドサイエンティスト・大門 雷電役の座長・丸山 正吾らをはじめ、履物屋の娘・神田 細魚を演じた野村 亜矢、亜矢の世話役・葦原 甚八を演じた川又 崇功、新聞記者、秋津 金五役の岡田 悟一、女侠客&XX役の石井 ひとみ、その娘鯛子を演じた大岸 明日香、華麗なバトン技術を見せた小間 百華等々、芸達者が多く楽しみ満載。

     さて、原作の「金色夜叉」は尾崎紅葉の名を現代に迄伝える通俗小説だが、雅俗折衷体で書かれている為、現代の人が読むと殆ど途中で投げだしてしまうようだ。無論、明治時代の社会通念や価値観、今では廃れてしまった風俗・風習の違いによる分かり難さもその原因の一つだろう。更に、事件の顛末に論理的必然や因果究明を求める現代日本人には、不徹底と思える展開もあるであろう。その原作を換骨奪胎する為の前説として、一種の女義太夫に見立て、口三味の囃子で演じる石川 美樹の歴史解説演技もグー。その台詞は、日本の古代史から大化の改新、壬申の乱、戦国時代の朝鮮出兵、更には日清・日露戦争を経ての近代迄の歴史をも視野に入れ、単に歴史的視点のみならずジェオポリティックな視点まで組み入れて展開する。実に面白いエンターテインメントであると同時に、優れた社会時評にもなっている。ところで、様々な要素を織り交ぜた今作だが、物語に広がりと深みを与える秘訣がサブタイトルの”ゴールデンデビルVSフランケンシュタインに表れている点も見逃せない。(追記2017.8.21 05:33。8.24更にほんの少し追記)

    ネタバレBOX

    「フランケンシュタイン」は、詩人、パーシー・シェリーの妻、メアリー・シェリーの作品だが、原題のタイトルは「Frankenstein: or The Modern Prometheus」である。プロメテウスは、ギリシャ神話に出てくる、人間に火を与えた神だ。一方シェリーの小説に出てくるフランケンシュタイン生みの親、ヴィクター・フランケンシュタインは、今作に登場するマッドサイエンティストの原型を為すキャラクターだと言えよう。何れも先駆者ということになろうが、ここでプロメテウスの名を分解してみると、プロ(先に)メテウス(考える者)と分解できるので、先見の明を持つ者という意訳ができる。つまり、今作のタイトルは、金色夜叉をゴールデンデビルと訳し、フランケンシュタインと等価で対置することによって先見の明を持った科学者の視座とそのような科学者によって発明・発見された科学的技術の成果は、それを用いる他の多くの人々の判断や社会、地球環境或いはヒトが生きている環境の開発(宇宙や深海なども含む)にとってどのような結果を齎し得るのか? という実に現代的な問題提起にも繋がり得るものなのである。
     今作では、新たにフランケンシュタイン製作に成功するのであるが、原作をもとにした映画などで描かれているのとは異なり、様々な遺体の継ぎ接ぎと雷を利用した電気ショックなどによる遺体刺激だけでは、活性化し得なかった死者を、富を象徴するダイヤと人間の生への執着を表す祭りを加えることによって再生させて見せる所に意味がある。そしてそのような結論を導く為に用いられているのがヒンドゥー教の最高神・シヴァと欲に目の眩んだ宮である。先ずは、日本人には余り知られていないシヴァから。シヴァは破壊と創造そして再生を司る神であり、それは、軍によって破壊が齎されれば、破壊後に新たに創造し、失われたものを再生すると読み替えることができる。このシヴァの日本的代替が、大黒天である。この遷移は、インド密教にシヴァの化身であるマハカーラが取り入れられ、巡り巡って日本の密教に取り入れられた際、大国主命と神仏集合されて崇拝の対象になったと考えられる。宮に関するくどくどしい説明は不要であろう。ところでこれら総てを担う者としてマッドサイエンティストが機能しているとすれば、彼は当にシヴァ+宮と言う事になるが、そうはなって居ない所に今作の面白さが隠れていよう。
     実際、軍部によってフランケンシュタイン計画はフォローされる所であった。然し1体を創る為に必要なダイヤの量が余りにも多いので、費用対効果の面で採算が取れない、というのがその結論であった為に研究は中止されたのだ。その代替として登場してくるのが靖国システムである。亡くなった兵士を神に祭り上げることで、殆ど金を掛けることなく(実際には1銭5厘(昭和)・召集令状の切手代)神として祀るという触れ込みによって兵士になるインセンティブを高め、一般人を調達できるシステムこそ靖国だ。(この事実がさりげなく示されている点、実に頼もしいではないか)現実には、共謀罪が既に施行されている訳だから、この指摘も予めマッドサイエンティストの独白「右翼でも左翼でもなく、自分は真ん中で云々」によって政治的イデオロギーではなく、庶民の実体感覚として示されている訳である。当然のことながら、寛一の宮に対する妙に純なメンタリティー(それはストイシズムに由来してでもいるかのようだ)や、高利貸し・満枝の寛一に対する一途な愛、甚八・細魚の純愛(大店の娘とその使用人の恋・心中)という今作の底流を為す愛の形にも繋がる。
     そして、メインプロットである寛一・宮の恋譚が、甚八・細魚の悲恋、更には満枝の一途な愛というWのサブプロットで愛の奔流を為し、物語に深みと広がりを作り出していることにも作家の力量を見ることができよう。大団円に至る終末部は、観てのお楽しみ。
     早目に行っても、いつものようにサービス精神満点の愉しみがあるし、休憩時間の10分の間に流れる添田 唖蝉坊の演歌が、エンコの良さを偲ばせる。この辺りの演出も流石と言わねばなるまい。

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    2017/08/20 12:01

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