満足度★★★★
今まで坂手洋二の戯曲を上演してきた劇団燐光群が故・深津篤史の初期の本を上演。演出は坂手だが、出演者も初めての人が多い。ここで燐光群がこれからの劇団活動の方向の模索としてこういう試みをするのは楽しみだが、それを評価することを前提として感じたことをいくつか。
1)坂手も認めているようにこの戯曲は深津の初期作品で若書きである。若いから時代に引きずられてるところも随分あって、直截に言うなら古い。人物造形も類型的で今となっては寓話にしかなっていない.せっかくの燐光群なら、劇団総出演で代表作をやってほしい。「うちやまつり」なんか、新しい面が見えるのではないか。
2)新しい俳優に言うのは酷だが、これでは台詞になっていない。ことに女優陣は声を出すということをもっと真剣に考えてほしい。こういうところはさすがに燐光群の役者は長い間やっているので、上手下手は置いても聞くに堪える。下手に混ぜるとバランスが悪いと思ったのだろうが、まとまったのは歌のシーンだけと言うのではカラオケではあるまいし困ったものだ。
3)こういう機会Dから、演出も少しタッチを変えたらどうだったのだろうか。坂手流でまとまってはいるのだが、型で見せられたような気がする。坂手に比べると深津のホンは随分情緒的でセリフも坂手にはない味がある(良い悪いではない)。そこが型にとらわれてしまったように感じた。
4)坂手ももう立派な中堅だが、この才能、うまくいかせる素材はないものだろうか。前期のブレスレス、天皇と接吻、神々の首都、屋根裏などは、素材も時代に迫る迫力があった。素材に政治性を求め、演劇の課題だと思うのは、井上ひさしが生涯共産党だと自身錯覚していたような不幸な思い込みのような気がする。もっと自由な広場でのびのびと書いてほしい。