満足度★★★★★
鑑賞日2017/06/03 (土) 13:00
前回までは、お二人だけのオムニバスで紡がれて行った舞台に、今回は、渡辺穣さんと大政知己さんのお二人をゲストに迎えて4本の短編が紡がれた『June and Meg~Season 4~』。
『深読みしようとしてもそれほど深くならない、しかし小気味良い、そんな後味の悪いの、お芝居を目指すユニット』と言うJune and Meg。
今回は、『きっとどこかにありそうな 出会いや別れのお話』が、4編の短劇として紡がれました。
きっと、どこかにありそうな出会いや別れを描いた話に身を置きながら、私の頭に浮かんだのは、『時』と『記憶』というふたつの言葉。
この4編の短劇の底にきらきらと揺れる水面の煌めきのように見え隠れする共通のテーマは、もしかしたら、『時』と『記憶』なのではないかと思えてならなかった。
そう感じたのは、あまりにも穿ち過ぎの私の深読みなのかもしれないのだけれど、観ている間中、このふたつの言葉が頭の中に星の瞬きのように明滅し、何度も駆け巡った。
冒頭と各話の合間に挟まれる『宇宙の思い出』は、人類の生命を長らえさせ、医療と治療の進歩の為に様々な手術や実験を施し、経過観察を繰り返す中で、ついに、脳に施す実験への為の手術を控えた100歳を迎える元ホームレスの女性(わかばやし めぐみさん)を被験者の話。
手術を施す事により、次々に新しい事を覚え記憶出来るようになる代わりに、これまでの記憶を失うリスクを伴う。
『時』と『記憶』である。認知症で新しい記憶から忘れて行く姿を目の当たりにし、今も、離れて暮らす施設で、既に私の事も記憶から零れ落ちてしまったであろう父を持つ身としては、果たして新しい事、新しい記憶を覚え続ける代わりに、これまでの幸せな記憶や楽しい記憶をも失ってしまう事が幸せなのだろうかとふと考えてしまった。
父が一番忘れたくない記憶は、亡くなった母との記憶らしく、今、父は母との記憶の中だけに生きているのかも知れない。それは、父にとっては一番幸せな事のような気がしてならない。
そのリスクを知っていながら敢えて手術を受けることを選んだ100歳の女性が最後に言う言葉を聞きながら、思い出は星の様なもので、くらい夜空に点々と散らばっていて、それを結ぶ事で記憶が甦り思い出となる。
例え、朝が来て、消えたように見えても、宇宙の、夜空にはちゃんと存在して、目を凝らし、星々を繋げば、水底からゆらゆらと浮かび上がって来る様に、記憶は思い出となってたちのぼって来る。
思い出は、無意識の水底の下に潜るだけで、ちゃんと、残っているそう信じられるからこそ、めぐみさん演じる女性は手術をする事に頷いたのではなかったかとふと感じたら、涙が滲んだ。
『ルフラン』は、ほんの些細な時のすれ違いが、いつしか思いのすれ違いになり、すれ違った時の積み重なりが、パートナーである男(渡辺穣さん)の知らぬ間に、女に別れを選ばせ告げさせてしまう。
告げられた男は、何度も別れを告げられる場面と時間をループし、ひとつひとつ、女(家納ジュンコさん)が別れを告げる原因を思い出す事により、ループする場面と時間が少しずつ移り変わり、そのきっかけに辿り着き、見過ごして来たパートナーの心遣いや思いに気づいた時には、もう、女の決意を覆す事が出来ないほどに時が降り積もってしまった別れが切なかった。
これもまた、『時』を遡り、『記憶』を手繰り寄せる話である。
『伝説』は、村に住む1人の女に、妻を持つ男達はなぜか惹かれ、女の元に通い続け、自分の思いを告げようとすると何故か蜜柑になってしまうという、シュールで可笑しく、ちょっとほろ苦い皮肉めいた話。
蜜柑になるまでに要する歳月は、2年だったり、3年だったりするが、これも『時』の流れが関わっている。夫が蜜柑になったにも関わらず、妻たちはその女に何処か崇拝めいた気持ちを持っていて、その崇拝ぶりが可笑しみさえ誘う。
妻たちは、夫婦としての時間の中で、ある時、夫婦でいることに『もういいや』と思ってしまった瞬間があったのではないだろうか。そのタイミングで夫が蜜柑になって、自分の前から居なくなっても不都合はなく、それはそれで自由だと思ってしまったのかとも思った。
『献花台』は、とある歌手が路上で刺されて死んだその場所に置かれた献花台を事件から1ヶ月経ったのを期に、片付けようとする花屋(家納ジュンコさん)と献花台が片付けられることを知らずに、花を供えに来たファンの女性(わかばやし めぐみさんの)との献花を巡る攻防を黒いユーモアと仄かな怖さを持って描いた話。
これもやはり、『時』と『記憶』が、水底にチラチラと垣間見える。
熱烈なファンなのに、なぜ献花に来るまで1ヶ月もかかったのか、やり取りする内にムキになって片付けようとする花屋、言葉でやり合っているうちに、ファンの女から零れた一言に、ゾッとしながらも、何だか切なさも感じてしまった。
深読みしようとして見たわけではなく、この空間、この時間に漂うものに、身を置き、身を任せ、舞台の9割は笑いに包まれながら観つつも、観て行くうちに、何故だか『時』と『記憶』という言葉が、意識の水底から浮かび上がるように、炙り出し文字で炙り出されるように浮かんできて、こんな思いを抱いたわけである。
次の話に行くまでの間に、わかばやし めぐみさんが歌った、山崎ハコの『ざんげの値打ちもない』は圧巻で、その時の衣装から伸びためぐみさんの脚線美は、今年も健在。
70分とは思えない、濃く凝縮された時間を堪能した『June and Meg~Season 4~』でした。
文:麻美 雪