満足度★★★★
年末公演に続き、少数精鋭?旅費が浮く、セットも簡素な(それは毎度の事だしポリシーかも)舞台。観客の想像に委ねられるのは演劇の利点だし、観客との共同作業で成立させるのが芝居だが、長屋の花見のお酒(お茶)のやせ我慢の要素もなくはない。想像を逞しく、研ぎ澄ませたいのだが・・。
恐らく私の弱点だが、視覚的な無駄(美的要素)がさほど追求されないせいか、なべ源の芝居は思い出しづらい。場面場面の景色を都度都度、脳内で想像して補う観劇である。後半になって前半描いた図を修正したり、といった事もある。よ~く思い出せば記憶にあるのだが。
今回は東日本大震災(津波被害)、高校演劇の顧問、浦島太郎の亀の三つのキーワードで作劇がなされていた。趣深い場面はあったが、私には薄味であった。扱う中身は濃い。だが他のなべ源作品の要素が組み込まれていて、その分薄く感じてしまった。
津波は「もしイタ」に重なり、劇中劇としても(他にも多く引用したらしい高校演劇演目の一つとして)感動の場面が再現され、思わずこみ上げるものがあったが、それは「もしイタ」の場面を思い出したからである。また、毎回入選せずに終わる大会に向けた演劇部の毎年の活動サイクルが、少しずつ省略されながら何度も何度も続くという場面がある。これは「原子力ロボむつ」を彷彿とさせる(むつのほうは年代が1000年ずつ飛ぶというものだが演劇的手法として似ており、演劇部のほうは所作を少しずつ減らして「同じ事の繰り返し」である事を「省略」によって表現する。だがこの減らし方が緩慢で長すぎ、上演時間を稼いでいるとさえ感じる)。
繰り返すこととは、一人の人生の営みでもあり、四季の循環でもあり、世代の移り変わりでもあり、無常観を漂わせる。自然そのものの営みの中に、津波というものも含まれていて、人生における「繰り返し」は広い意味での自然・宇宙に承認された「あり方」である・・といった哲学に導かれる気もするが、ドラマは「変化」の余地を観客に探させるものだ。だからその逆を表現するなら「そうではない」と知らせる何らかのインパクトある要素がほしく、やはり変化は訪れるものであるなら、どのような形で、それは訪れるものだと語りたいのか、もう少し舌足らずに思えた。
というか、焦点はそこになかったのかも・・。
間違いないと思われたのは、風化して行く災害の記憶を、如何にして風化させず「今」という時に立ち上がらせるのか、そしてそうすべき必然とは何か・・その問いに応えようとする仕事であった事。
新たな発想を盛り込んでくる、なべ源の次が楽しみ。