満足度★★★★
劇団チョコレート的には、歴史の検証。その対象が高度経済成長期の日本というわけである。戦犯裁判や皇室やセクトといった特殊な状況を描きながら、その状況にあっての「日常」をしっかり描出できる劇団にすれば、昭和の下町の廃れ行く蚊帳工場が舞台であっても何ら遜色ない。人情あふるるある意味典型的なお話が、むしろ水を得たとばかり、俳優の躍動を引き出していた。
蚊帳作りの具体的な手法や用語が出てこない事に中盤気づくが、どんなオチに繋ぐのかという関心がよぎる程度、ドラマ的な濃さをそぐ事なくラストまで畳み掛けられた。
見る者が懐古的にならないと言うと嘘になるが、人情噺を構成する素材でなく描く対象として「時代性」、歴史に対している。例えば近所の紙芝居屋は昼間っから将棋を打ちに工場へ来る。打つ手を考える様は時間を刻みながら働く現代の勤め人にはない、計測しない事で得られる先の長い時間というものがある。
もっとも芝居を牽引していたのはリアリズムのみにあらず、江戸落語の人情長屋の世界を若干トレース気味。工場を仕切る長男(西尾)の好演は大工の棟梁、その妻は夫に引けをとらない人情の厚いおかみさん。女性は一人だから成立したキャラでもあろうか。空襲でやられた足を引きずっている設定が憎い。三代目になる社長の兄を手伝っている弟(岡本)がまた好演。これら昭和人情伝の登場人物は、芝居の冒頭の現代に亡くなった老人が遺書を通して語る劇中劇の人物である。主人公ももちろん、本編である回想シーンに最も若い人物として登場するが、集団就職組で上京した金の卵であるから血の繋がりもない。他人でしかない彼に対し、夫婦が高校通学の援助を買って出るあたりから、長い「最も良き日々」が始まる。彼の述懐(声)に導かれての長い回想だが、ポイントは夫婦には子どもが居ない事を、誰の台詞を通しても、素振りでさえも、触れない事である。10年後に別れる事になるまでの、その夫婦と主人公との一見特別にみえる関係が、その時代に流れていたものの証明として主人公は述懐し、時代の風景としてこの物語が描かれているのもポイントだ。こんな天晴れな人がいた、という話ではなく、時代とそこに漂っていたなにものかを描き出そうとした。批評性のある昭和人情伝。