期待度♪♪♪
ラシーヌは、初めてです。期待と、不安を、楽しめるでしょうか。それとも、やや難解とか、思うのでしょうか。
ラシーヌの代表作『アンドロマック』は,1667年,パリのブリュゴーニュ座で初演された。パリのブリュゴーニュ座は,ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』第一幕の舞台になっている。
ブリュゴーニュ座に次ぐ古いマレー座は,1630年代,コルネイユ『ル・シッド』をやっていたが,すでに衰退していた。1660年には,コルネイユはその傑作を書き終えていた。モリエールが,『人間嫌い』『心ならずも医者にされて』などで,作者・役者・座長で活躍していた。
アリストテレスの「詩学」の公準を遵守すべき規則として受け継ぐ。
やがて,一日は日の出から日没までと了解されるようになり,ラシーヌはこの原則に従っている。
したがって,戯曲の「場割り」も,舞台転換を意味するものではなく,そこに登場している人物の出入りによって,「場」が始まり,終わる。
「筋の単一」は,より複雑である。・・・デカルトの世紀であった17世紀が,「万人に等しく分かち持たれている良識」に人間の思考の根拠を置いたことを思い起こす必要がある。
フランス古典劇のもう一つの特徴は,演劇表現における言葉の圧倒的な重要さである。
また,17世紀の絶対王政という近代国家の基本的枠組みの成立に,当時の新興階級である町人階級が果たした役割の中で,文化の領域における進出は極めて重要であった。
ところで,古典悲劇は,天下国家の運命と個人の運命とが深く関わるような局面において人間の行動を捉え,それを典型的な人間の劇として提出しようとした。劇を書くのは,町人階級出身の作家達である。
トロイア戦争において,ギリシア方の英雄アキレウスに倒されたトロイアの武将ヘクトール,その後に残されたアンドロマック。女奴隷となった。死者への愛に忠実であろうとした。アキレウスの息子,ピリュスの愛を拒絶する。
悲劇『フェードル』は,1677年,ブリュゴーニュ座で初演される。この後,ラシーヌは,国王の歴史編纂官となって劇作の筆を折る。
近親相姦の罪におののくフェードルは,エウリピデスから。そのような罪を神々の呪いだとしてそれに身を任せ,息子である王子に言い寄る,恋に狂った女であるフェードルはセネカから。
イポリットはフェードルに口説かれてしまう。義理ある母の猛り狂う恋の情念に幻惑され,吞み込まれ,金縛りになるイポリットは,この場面で決定的にその男性性を剥奪される。空気そのものが穢れている空間。
人間の心理的現実にまで内在化されようとした恋の情念は,ここに至って突如その野性の力を取り返す。憑依は,フェードルにあって,演技的な比喩ではない。