満足度★★★★★
鑑賞日2017/02/01 (水)
座席1階L列28番
NODAMAP『足跡姫』を観劇。野田秀樹から中村勘三郎さんへの、この世あの世を跳び越えたラブレター。逆もまた真也。
アンサンブル(コロスという言い方は古臭いのかね)の動かし方には、蜷川幸雄さん演出の空気まで感じてしまった。野田さんの舞台は昔から今でも、時や空間を自由に行き来する。ここはどの空間だとか、暗転がないと場の切り替えができないとか、縛られない。それは、芝居の可能性を誰よりも信じ探してきた人だから。
そしてコトバというものが本当は、時も空間も飛び越えるものだから。言葉の力と怖さをよく知っているからだ。
宮沢りえは鬼のような気迫で足跡姫を、聖女のような可憐さで三、四代目出雲の阿国、双つの貌を見事に演じてみせた。古田新太の不気味さとかっこよさの区別がよくわからなくなる生臭さ、怪物感。池谷のぶえの(いい役者さんですね)高く澄んだ声のキレと力強さ、立ち姿の粋なこと。布、板、雪、穴、桜、肢。次は何が起こるのかいつもわくわくして見る。
唯一、よくなかったのは舞台前面にマイクが設置してあったこと。たぶん。自分の耳がどうかしたのでなければ、マイクを通した声に聞こえた。野田さんの芝居でマイクは・・ないだろう。お陰で台詞はよく聞こえたけれども、やはり芝居の魅力はナマ声だよ。何か事情があったには違いない。
近年、ホントにマイクで声を拾う芝居が多い。肉体はまだ(近い将来ホログラムを超えた4D芝居とか作られてしまいそうだから)生、LIVEだが、音楽と違ってマイクを通した声はLIVEではない。生とそうでないのとでは、決定的に何かが違うのだ。その何かがあるから芝居は愉しいのだ。