満足度★★★★
鑑賞日2017/02/04 (土)
良くも悪くも中津留の世界(・・とは如何にも渋い評の書出しだが)。独特の演劇である。議論のためのシーンを回してる感は最近の特徴だが、演劇的リアリティの踏み外し感は以前からだろう。
ただ以前はB級映画的展開の面白さがリアルをすっ飛ばしてたのに対し、今は一場面一テーマという議論劇の形態がドラマの流れを停滞させている。(この点民藝に書下ろした「篦棒」は一つの問題軸が最後まで通った骨格のしっかりしたドラマであった。)
俳優の演技の質にも関係がある。ある場面でテーマが単一化してしまう証拠に、俳優はその時点のテーマに埋没し、人物の感情が議論の帰芻にのみ左右され、全重心を依存した彼らは声を荒げて嘆いたり怒ったりする結果となる。
単一テーマへの埋没ぶりが、リアルの対極に感じられるのである。
人物の貫通行動を眺めてみると、とった行動を事後的に説明(弁明)している事が多い。
これら皆、俳優の力量に依拠する所大かも知れないが、単調に見える感情表出は演出の指定か、人物描写の綻びを埋める手段という事も。
恐らく中津留氏は人物を泳がせて台詞を引き出していると思うが、各場面がドラマ本線との距離にかかわらず、均等に丁寧なんである。
議論の中で生まれる珠のような言葉も、長い伏線あっての意表を突く場面展開も、全体の中でくすんでしまっては何とも勿体無い。