たわけ者の血潮 公演情報 TRASHMASTERS「たわけ者の血潮」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    鑑賞日2017/02/04 (土)

    良くも悪くも中津留の世界(・・とは如何にも渋い評の書出しだが)。独特の演劇である。議論のためのシーンを回してる感は最近の特徴だが、演劇的リアリティの踏み外し感は以前からだろう。
    ただ以前はB級映画的展開の面白さがリアルをすっ飛ばしてたのに対し、今は一場面一テーマという議論劇の形態がドラマの流れを停滞させている。(この点民藝に書下ろした「篦棒」は一つの問題軸が最後まで通った骨格のしっかりしたドラマであった。)
    俳優の演技の質にも関係がある。ある場面でテーマが単一化してしまう証拠に、俳優はその時点のテーマに埋没し、人物の感情が議論の帰芻にのみ左右され、全重心を依存した彼らは声を荒げて嘆いたり怒ったりする結果となる。
    単一テーマへの埋没ぶりが、リアルの対極に感じられるのである。
    人物の貫通行動を眺めてみると、とった行動を事後的に説明(弁明)している事が多い。
    これら皆、俳優の力量に依拠する所大かも知れないが、単調に見える感情表出は演出の指定か、人物描写の綻びを埋める手段という事も。

    恐らく中津留氏は人物を泳がせて台詞を引き出していると思うが、各場面がドラマ本線との距離にかかわらず、均等に丁寧なんである。
    議論の中で生まれる珠のような言葉も、長い伏線あっての意表を突く場面展開も、全体の中でくすんでしまっては何とも勿体無い。

    ネタバレBOX

    ドラマトゥルギー的には父(市議)の変化と、そして息子の変化も欲しい。これがドラマの軸だ。大麻は一つのキーワードだがキーワードに過ぎない。祖母への無理解=悪をなした父母と、それを暴露する息子、という図式では足りない。父は折れるがその父にも事情があり正当性があった事をやはり息子は認める必要がある。
    それには、大麻を全否定しないにしても、(現実的に考えて)自由に関する一つの可能性を仄めかす以上のものにはならない。大麻解禁を離党後の指針にするのは、洒落っ気であるべきだ。
    芝居はリアルの次元に繋がっているのであり、大麻は確かに挑発的ではあるが、突き刺さって来ない。「自由な精神」を証かす「踏み絵」には、大麻はなり得ないからだ。芝居ではここに論理の飛躍がある。
    祖母がそう思われて来た事故死でなく、自死だった(らしい)という男の暴露も、想定内だろう。その死に責任があった(らしい)夫婦は息子が知らせた「事実に驚く」のではなく、彼と彼女にとって祖母が何であったのか、に結び付いたリアクションが欲しい。実の娘に当たる妻の狂乱に等しい反応は、リアルを超えてわざとらしい(たとえ俳優が精一杯の心情を注いだのだとしても)。図式化された(概念としての)「罪」を想起させるにとどまってしまう事が、その何よりの証左だ。「自死」があったとしても、原因はドラマの表に出ていない何かがあったと示唆するので十分、「祖母の自死=(大麻に非寛容だった)夫婦の罪」という図式に嵌め込む演技は、不要に思われる。
    ・・いや、それだとドラマの起伏が形作られないではないか、と文句を言われるかも知れないが、「仄めかし」、あとは想像させる、方が良いと思う。
    最後に見せる憲法読みのくだり、祖母が庭で亡くなった日に手にしていた「たわけ者」の台本に書かれた台詞を孫が読むシーンは秀逸。ただ、ここも一度で十分。二度目をやるなら一度目を上回る切り口をみせなきゃ、逆に肩透かし。最後だけに一層勿体なかったりしたが、この場面を頂点として、見入ってしまう場面が全編に続く(客席も水を打ったようである)。
    関係ないが、中津留氏の喋りや様子からして、かなり体力と胆力のある人物のようだ。あの芝居の長さとリズムが全く苦でない人、と想像すると何か納得できる所もある。

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    2017/02/06 00:59

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