今日も、ふつう。 公演情報 アロッタファジャイナ「今日も、ふつう。」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★

    エンターテインメントは危険なものである
    上演時間は2時間半というアナウンスを聞いたときは、どうなることかと思ったけれど、フタを開けてみれば、結局、飽きることなく、寝ずに、観ることができた。

    長いうえ、2時間半で40回以上という暗転の回数は異常。それでも、小出しにされる情報を追いかけているうち、あまり気にならなくなって、終演後には不思議な達成感すらあった。

    でも、僕は、この舞台に高い評価を与えることはできない。それは、この舞台のあり方が、危険なものを含んでいると考えるからだけど、それでも、この舞台は、ある面ではなかなか面白くできていて、話は単純ではないのである。

    ネタバレBOX

    総勢19人にも及ぶキャラクターたちが、それぞれ、何重にも関係していて、観ているうちに、相関図がどんどん複雑に埋まって行く。逆に、この19人以外の存在は、ほとんど匂ってこない。非常にデフォルメされた、分かり易い世界観を持つキャラクターたちと相まって、作品世界に現実感は希薄。パズルのピースを埋めていくように人間がモノのように扱われ、冷たく展開していくゲームのような物語は、ある種の耽美を感じさせるもの。こういうものには、好き嫌いがはっきり出る。

    僕は、こういう自己陶酔を感じさせるものは苦手。物語の出来もいいとは思えない。なのにしっかり観てしまった。それは、この作品が、今の世界の底にある物語にひびきあうように作られているからだろう。

    情報格差という今を生きる僕らは、「情報を少しでも多く持っている方が有利」という、現実を支える物語の中で、他人が持っている情報を掴み損ねることをなにより怖れる。だから、「情報を得ることができた」ということ自体に満足を覚える。

    この舞台は、僕ら観客に、情報格差をみせつける。たとえば、サプライズゲストの登場に、客席がざわめく。この人物は、メディアの上で有名な人。情報を持たない人は、焦る。たとえば、途中で、物語のうえでのつじつまを無視して、事件の真相に近づくヒントのようなせりふが何カ所か出てくる。情報を整理すれば、その時点で真相がわかる仕組み。

    このような格差をみせられ、僕らは、舞台にちりばめられた情報を集めることに夢中になる。それはまるで、情報を受け取れるか否かを競う、ゲームをしているような感覚だ。こりっちの使い方を含めて、舞台をめぐる情報戦略に特化したこの公演は、舞台の上でも、情報戦略に特化した面をみせる。

    このように、テレビから抜け出してきたような情報収集ゲームとしては、この舞台は非常に完成度が高いといえる。だが、演劇としての面白さはどうか。歌っておどるシーンも、濃厚なラブシーンに「(舞台)初日からなにやっとんじゃ」とつっこむような舞台ならではのギャグも、ことごとくすべっていた。あまりにも情報収集に特化しているために、僕らは、情報以外の部分に目をやるゆとりをなくしていた。情報以外の要素が、邪魔になってしまっていた。

    このような、情報収集ゲームとしての舞台は、おそらく、周到なリサーチの結果導きだされたものなのだろう。ある意味、このようなものを望んだのは、僕らだともいえる。これが、僕らの望んだエンターテインメントのかたちなのかもしれない。

    時代の流れの中で、人々が求めるものを、ただそのとおりに提供する。それはエンターテインメントのあり方として、戦時中、人々の求めに応じて大量に作られた、戦争賛美の物語につながってしまう可能性のある、大変に危険なあり方で、時代の物語をより強固なものにしてしまい、反論を圧殺する可能性を含む。作り手は、その責任に、自覚的であるべきだと思うのである。

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    2008/12/17 23:12

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