満足度★★★★★
甲斐あり。
休憩込みで三時間弱。戯曲としては一場の家庭劇に近いストレートプレイで長編化するような部類に思われないが、終わってみれば。ゆったりと流れる時間が「思わせぶり」ではなく自然にそう流れていく。リアルタイムに進んで行く芝居の「実直さ」が、俳優達の「真心」と相まって滲み出ていた。
古館演出はオーソドックスでやはり青年団の人、緻密でしっかりした演技をさせているが、風通しも良い。若干難点は猪原先生を慕う女性教師の年齢が、もう一人の若い女性より年が嵩んでいるはずが同じ位若く見え、芝居上そぐわない所があった事。猪原先生の長台詞は多いが、聞こえづらい箇所が若干あったこと。(その日は県内学校観賞の日だったがちょうどその聞き取りづらい箇所で一人の生徒は「よく聞こう」と立って身を乗り出していた)
逆に言えばその細部以外は完璧という事か。もう何度か観て噛んでうまみを味わいたくなる芝居だ。
このドラマでは話が進むにつれて一つずつ明かされる「謎」の中で一つ明かされずに据え置かれる謎が焦点化して来る。この「秘匿」の度合いに見合うだけの過敏な事実は、十分な伏線=長さを必要としたかも知れないがそれはともかく、猪俣の現況を説明するのに十分な説得力を持った。そしてそれが猪俣の主観が構成した事実であって、その事実の一方の当事者が、これも意外な形で登場人物の一人となり、事実を照らすという展開、そこに至る時間の長さも、事の過敏さに見合うものである。全てが氷解した時の感動は、出来過ぎな話であっても十分信憑性のある背景を持つゆえに「語るべき話」として現前する。
古館演出は、これは所属劇団サンプルの側面か、一箇所だけ特殊な効果を使った。最後の登場人物すなわち「一方の事実」を告げ知らせにやってきた「立派になった」青年が登場して舞台奥からゆっくりと歩く間、照明が様々に変化し(俳優も声の張り方を変え)、事の特別な意味合いを強調していた。
「高き彼物」という題名、この字句を含む短歌が芝居の中で何度となく読まれる。猪俣先生が座右の銘のように大事にしている歌だが、意味はよく分らない。先生自身も「よくわからん」と言う。判らないがこの言葉が何度か出てくる。猪俣がそうありたいと願う姿、それが高き彼物、らしい。教師として、たとえ辞めても心は生徒と関わり続けたい・・・その理想の形とは、言葉で定義することも能わず、採点評価する事も出来ない、だが何かそういう尊いものに向かおうとする姿勢だけが、(意味が分らないだけに)浮かび上がってくるという寸法。
愛おしい舞台であった。