荒地に立つ 公演情報 富岡英里子プロデュース公演「荒地に立つ」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    想像力豊かにさせる
    プロデュース公演ということが気になって観劇した。観客によって好き嫌いが分かれそうな描き方である。物語性や設定を重視する方にはどうか?個人的には好きな方であるが、気になるところも...。
    (上演時間1時間30分)

    ネタバレBOX

    舞台はコーナーを利用するため、客席は斜め(対角線上のような)にしている。最前列は桟敷(座布団あり)、2列目は丸椅子、3列目以降はひな壇に背凭れ椅子。自分が観た回はほぼ満席で盛況のようであった。
    芝居は暗転なしで、劇場出入り口方向(客席後方)から たまこ(富岡英里子サン、本公演のプロデューサー)が下着姿で歩いてくる。舞台を半周し、置い(脱ぎ捨)てある衣服を身に着ける。その際、風船を膨らませ腹あたりに抱え服(上・下黒色と割烹着)で被う。見た目は妊婦姿である。小物としては炬燵、鍋ぐらい。
    何度か繰り返される「東京オリンピック前夜」という台詞...現在を指し示すのだろうか。

    梗概...自分には物語というよりも感覚的、観念的な描き方のようであった。それでも主張したい内容は何となく分かる。
    ”私”が生まれたこの世界、荒地(東京か)に立って見れば、そこは不条理に満ちたところ。例えば外国人労働者の増加に伴い就労先が少なくなっている、家族に(精神)疾病者がいれば隠匿(いんとく)する、という偏見。花火と称しながら砲声のような轟音、核(シェルター)・平和という言葉が断続的に聞かれる。壁に映し出される映像は雑踏中を歩く姿。それが早送りされノイズ状態で聞き取れなくなる。現代人の早い口調、それに追い付けなくなる。都会(人)へのアイロニーであろうか、東京砂漠(荒地)は掘っても何もない=漂流者はさすらうから未来がないと...。

    気になるのは、演出が少し観念的で分かり難いこと。演技は、役者の登場シーンの多い・少ないも影響しているかもしれないが、力量差...富岡サンの圧倒的な存在感が凄い。このバランスが良くなかった。やはりプロデュース公演は難しい。

    最後に風船を飛ばすシーンの意味は...生命の誕生、生きていくことの比喩であろうか、男優演じる路上生活者は刹那的に観えるが、それでも逞しく生きている。

    次回公演を楽しみにしております。

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    2016/11/23 11:27

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