満足度★★★★★
Dangerous Box vol.13本公演 綾艶華楼奇譚 第三夜 『晩餐狂想燭祭〜惨〜』
愛しても愛されない。
愛されても愛せない。
求めても求められない。
求めないのに求められる。
解って欲しいのに解って貰えない。
満たされない想いが涙に変わり。涙は、廓という檻をゆらゆらと金魚が揺蕩う、金魚鉢へと変えて行く。
満たされない想いと満たされない愛が、永遠に揺蕩う金魚鉢へと...。
全ては、現か幻か。全ては泡沫の夢。
金魚鉢に閉じ込められた金魚のように、鉢も水もなければ生きられない金魚の如く、遊郭という鉢の中でしか生きられない遊女の、男と女、男と男、女と女の生きる哀しみと愛と諦め、藻掻く姿が胸に痛く響く。
現し世で見る束の間の幸せという幻。その幻に縋りたかった遊女、幻を夢見た女の心を持った男、その幻をすっぱり見ることを辞め、永遠に揺蕩う金魚鉢の中で生きていく覚悟を決めて選んだ女、靡かないその女を求め続け、満たされず永遠に揺蕩う男、その男を永遠に求め続ける女。
妖しく、色艶っぽく、華やかで、絶望的なほど哀しくて、皮膚を食い破って心を蝕むほど孤独で、涙も出ないほど切なく美しい「綾艶華楼 晩餐狂想燭祭」の世界。
なのに、どうしても好きで仕方ない。
求めても求められない。求めないのに求められるジレンマ。解って欲しい、解って貰えない苦しみがヒリヒリと胸に滲みる。
なぜ?どうして?しょうがないでしょ、愛してしまったんだもの。想い想われ、拒まれて、混ざり合った想いは愛だったのか、憎しみだったのか。想いは何処にあるのだろう。
愛してるのに....。
解ってよ、私を観てよ。
あなただけを観ている、私を...。
二枝 (小春千乃二枝さん)は、「晩餐狂想燭祭〜弐〜」の時からずっと、この想いを八文字(林里容さん)に叫び続ける。その体の底から迸るように絞り出す、小春千乃(ゆきの)さんの二枝は、観る度に切なくて、胸が軋むように痛くなる二枝そのもの。
これ程想われても、一華(篠原志奈さん)への想いに囚われている八文字は、二枝の愛に応える事はない。一華に受け入れらない想い。それはまた、二枝の八文字への想いと同じ。その事に気づいて、二枝の心を想いやれたら八文字も二枝も、もしかしたら、幸せになれたのかも知れない。
同じ想いを抱え苦しんだ者として。応えて貰えない想いと応えられない想いの狭間で、もしかしたら、一番苦しんで引き裂かれそうだったのは、林里容(のりまさ)さんの八文字だったのかも知れない。
二枝の叫びは、八文字の叫びだったのではないのか。目の前で観た、林里容さんの八文字の俯く姿にそんな風に感じた。
八文字の想いを拒み、凛と潔く、この廓という金魚鉢の中で、生きて行く覚悟を決め選び取った篠原志奈(ゆきな)さんの一華は、更に色艶っぽく、艶やかに、決然としていて揺るぎなく、格好良さが増していた。一番好きなのが、一華。そして、睦ちゃん。
「晩餐狂想燭祭〜弐〜」の冨永裕司さんの睦ちゃん。睦ちゃんが睦ちゃんになる前の男鬼六の時代の話も織り混ぜられ、睦ちゃんになる瞬間、鬼六の葛藤と切なさ、それが、睦ちゃんが時折見せる孤独の翳りに繋がっていたのかと気づく。
半田瑞貴さんの三葉の、鬼六の心が女であることも、女を愛せないことも知った上で、ありのままの鬼六そのままを、全てを包み込む、深さと潔さもまた、ひとつの愛だと感じた。
しかし、それだけでなく、歌、ダンスも華やかで艶やかで、笑いもあって、艶っぽく華やかなポールダンスと三味線、篠笛も加わり、より妖しく、より豪華絢爛に、哀しくも美しく、残酷で優しく愛しい「晩餐狂想燭祭〜惨〜」だった。
文:麻美 雪