パール食堂のマリア 公演情報 青☆組「パール食堂のマリア」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    昭和の風の中で
    僅かながら冒頭を見逃したことによる印象の差異は、後から台本等で修正してもなかなか、最初の「印象」は拭いきれない。この作品では、あるのどかな日常の典型的な場面があり、そして非・人間の語り部がこれからこの町の物語が始まることを告げる。町の物語である、という事は風景として眺めることを要求する。それは過去を遡って見るための一つの態度かも知れない。
     ・・で、私はこの「典型的な日常」の場面を見逃した。この場面は最後にリフレインされる。この時になってああこれはあのパターンだと知れ、頭がぐいっと回転して、全体像を修正しようとするのが分かったが、追いつかない。再構成は無理だった。
     おそらく、「猫」のまなざし、遠い目で俯瞰するまなざしを持つと持たないでは場面の見え方が違うのだ。もっとも、場面での人物の行動は理解できるし、面白いのだが・・。
     逆に考えれば、このドラマは全体で一つの「絵」を構成するものであり、冒頭とラストは額縁(境界)を示す役割だという事だろう。
     枠の位置によって絵の見え方は異なる、が、境界線の位置にかかわらず突き出てくる部分もある。印象に残る場面が幾つかあった。「絵」のカンバス地がうっすらとみえるように思えたのは、妹が涙に濡れる夜のシーン。別れを告げた相手の「温り」が、彼女がどちらに涙しているのか分からなくさせている、そんな「昭和」の風が涙を違和を強めるものとしてでなく受容し、風景の一部にしていた。
     少し変わった人たちの、ささやかな人生の物語ではあるが、登場させる人物の「人選」が憎く、人と動物と街の「小宇宙」が美しく形作られていた。(この小宇宙は冷厳な大宇宙に接している。)

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    2016/11/16 08:06

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