満足度★★★★
巻き込まれ型舞台
「参加型」とは露知らず参加した。トークに招かれた女性が「参加型」に一家言ある人らしく、今回の趣旨の曖昧さについて指摘していた。その様子からすると、「参加型」のスタイルは何らかの理念を原点に持つようだ。舞台→客席の一方向コミュニケーションの限界、といった所だろうか。
地上人である所の観客が、大きなエレベータに乗って地底世界へ向かっている。会場は客席がなく、地底人であるキャスト5人の誘導でまずは紙製眼鏡作りと地底世界についてのレクチュア。観客が何らかの「態」でその場に居る中で、いつしか芝居(地底人として名を持つ彼らのやり取り)が始まっていたり、地上人集団に語りかけたりする。「劇」の要素に観客が組み込まれている形は珍しくないが、同じ平場でそうなっている、という感覚はまた別である。
ポイントは「原罪」を背負った歪な存在となった地上人を地底人は蔑視しており、地底世界の人口が減ってしまったため労働力として、しかし生活と身分を保証する約束で地上人が移住させられる途上である、という構図が後半に判ってくること。白の衣裳で統一されたキャストは高等な人種らしく、無垢で情熱的な演技によって我々とは異質なものとして存在し、「今ここ」が地上世界の劇場である「現実」から離れた、「地底」というフィクションを成り立たせている。
紙製眼鏡をかける事で「現実」に属する観客同士の対面を回避し、照明や音の効果、そして地底にまつわる詩的な言葉によって、普段は舞台上で観る架空世界を自分らもそこに紛れ込まされた形で観る、という体験になった。もっともストーリー自体は単純だが。
それらがフィクションのモードだとすれば、冒頭の作業と、もう一箇所途中でキャストがちょっとしたゲーム的な動きを観客に指示してやらせる場面、これはフィクション世界とは違う質に感じられた。フィクションの世界は観客が想像を逞しくして架空世界を理解しようとする時間になるのに対し、フィクションにあまり寄与しない動きをやらされる時間は、自分の身体という現実に引き戻されそうになる。もっと別な動きならどうだったか・・。
さて先述した「参加型」が目指すのは、フィクション世界よりは、それとは異質に感じられた時間、つまり観客が自分の身体(自分自身の現実)を意識させられ、他者の前にさらされる条件で何らかの物語に参加する形なのだろう。
その意味では今回の舞台は、参加型というより、フィクションに巻き込まれる体感型舞台とでも言ったらよいだろうか。
いずれにせよ、興味深い「観劇」ではあった。私には待遇の良い奴隷船に乗せられた感覚、そうなった場合の自分の感情を垣間見る瞬間があり、それなりに新鮮な体験であった。