満足度★★★★
音楽ライブに近い「浸る」感覚、その上にドラマが乗っかり、スクリーン一杯の映像が補強しつつ幻惑する
こたびも予習無しで観劇(・・にしてはそれなりの観劇料だが)。謳い文句の新「感覚」体験を期待して、衝動買いした。
二度目のブルーシアター、客層はややハイソな印象。開演5分前到着したが入場口にはまだチケット所持者でない長い列が出来ている。予定を10分過ぎた19:10にアナウンス「・・張り切ってどうぞ!」(板尾創路)。が、前方の席がまだガラ空きである。すでに正面には幅広のスクリーンに太陽灼けつく大海原の映像が映し出され、波音にたゆたう開演前の時間がそれを合図に終わると、舞台中央ツラに置かれた「装置」の裏に男が立ち、波音の間に地底からの呻りのような音が混じり出す。よく見るとそれは「装置」にセットされたジデュリドゥ(オーストラリア先住民の木管楽器)で、照明の変化により、彼はそれを吹き出したのだと判る。音が次第に激しくなり、波は高鳴り、映像が狂おしく同期する。この長い演奏のかん、空いた席が一組、二組と着実に埋まって行き、照明がフェイドアウトし始めた時最後の一人が仲間に手を振って通路側に登場、客をかき分け席を目指し、闇となる寸前に席に尻を埋め、空席が無くなった。測ったかのような始まり。
「期待」は裏切らなかった。ただし、「演劇」としての不足感は残る。もっとも、物語の方向性には共鳴できた。「汚れきった日本」「生きるに価しない場所」・・ディストピアをそこに浸る場所でなく「抜け出すべき場所」との明確な認識が物語の前提になっている、と感じた。
スクリーンの幕の裏では、TWIN TAILによる生演奏。迫力ある映像が必然にする「迫力ある音」に、随伴しながらタイトなドラムとギター+αが鳴り、舞台に一貫した色彩を与えている。
主人公の青年・天作が吐く告白じみた台詞によって大状況な物語が首をもたげ、詩劇的高まりをみせると、次第に激しくやがて壮絶な(という形容詞が似合う)ドラムワークが鳴り響く。耳、そして目は大海原や「夢」が作り出した不気味な風景に釘付け(それを観に来ているのだから当然だが)になり、単調なリズムで話される思わせぶりな言葉が「謎」を仄めかして脳内も支配する。
物語そのものが十分練られて(あるいは語りえて)いたかは疑問だが、主人公による批評性を帯びた詩的語りの部分で、音楽、映像、芝居の三つ巴のエネルギー放出をみて、快感であった。
「船に乗る」をリフレインする「詩」的フレーズを連打する主役(窪塚)の長台詞もその一つ。「ここから抜け出すために」・・都市生活の描写には排気ガスや放射能まみれの雨、といった表現が混じる。マイクを通しリバーブを効かせた大音量の台詞、これを「演技」として許容するのはこのライブシネマという形式の中でしかあり得ないだろう。暗く悲壮な台詞を唾するように吐き出す窪塚の「煽り」に当然バンドは呼応する。
「怪獣」はこの文脈から語られる。冒頭「おじいさんから聞いた話」として怪獣の話をするが、ラスト、「○○○○、これが怪獣の教え」と結語される。ただし、その意味するところは漠然としている。「全てを破壊する」怪獣は、現代の闇そのものの比喩なのか、どん詰まりの状況を救う最後の手段の象徴なのか・・。
(途中、テンポの変わらぬ台詞回しに睡魔が襲い、前半をだいぶ聞き漏らしたので把握しきれていないかも知れないが・・)