撃鉄の子守唄 2016年版 公演情報 劇団ショウダウン「撃鉄の子守唄 2016年版」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★★

    全然長さを感じさせない グイグイ引き込まれる舞台
     「左利きの拳銃」というタイトルの映画があった。

    ネタバレBOX

    今作にも登場するビリーザキッドとパット・ギャレットのことを描いた西部劇である。無論、この2人は実在した人物でビリーが初めて人を殺したのが14歳、亡くなった21歳までに計21人を殺した西部史上最大のアウトローと言って構うまい。因みに今作に登場するニューメキシコも実在の地であり、フォートサムナーは、ニューメキシコに実在する小さな集落である。1881年当時、彼らはこの町に居た。彼らとはビリーザキッドとパット・ギャレットである。史実と創作を巧みに交差させながら演じられる今作、他にも西部劇では有名なキャラクターが登場する。カラミティー・ジェーン、アニー、バッファロービルなどだ。更に主人公らを襲撃させる黒幕の元大統領・ヘイズ、副大統領ウィーラーらが、エージェントとしてパット、バッファロービル、アニーらを「敵陣」に送り込んでいる点、また更に確実に彼らの罪深き欲望を達成する為に陽動部隊としてならず者を組織し、送り込んでいる周到さが描かれている点である。何より大切な点は、このような人物達が、最先端技術を持った野蛮人という現代アメリカにも通底する本質を巧みに描き出している点である。また、話に捻りが加わっているのも興味深い点である。チプチャの王族、キャロルと共に生き残った最後のチプチャ族、妖術師の末裔シャロンが、元大統領のオブザーバーとしてヘイズにエルドラドでその宝を入手する為のサジェスチョンを与えているのだ。彼女の名前がイスラエルの元首相と重なることも興味深い。
     ところで基本的にアメリカ社会は、知的であることを嫌い避ける傾向がある。所謂反知性主義であるが、それが実施されていることは中に居ては中々理解できない。自己主張しなければ、存在していると看做されないというシステマティックな社会ということもあり、自ら深い内省を通して思想化された言説を述べることができるのは、ごく一部のマイノリティーの中から出てくるインテリのみであり、他ではない。現代でいえば、それらの代表がサイードだったのであり、チョムスキーである訳だ。因みにサイードはパレスチナ人、チョムスキーはユダヤ人である。
     今作はコナン・ドイルを語り部として美しく悲しいファンタジーの形で作られた舞台という形は取っているものの、そして登場するキャラクターは英米や南米の人々中心の外国人ではあるものの、翻訳劇に多く観られるような違和感が無いのは、作家が日本人であり、アメリカによる侵略を受け、実質的植民地としての現代日本に生きる作家だからでもあろう。即ち、此処に描かれたキャロル同様、被差別者なのであり、その視座からアメリカを見ている為に、アメリカの公式の顔ではなく、自分達がその文化・知性の低さを知らぬが故に、他民族を野蛮と看做しジェノサイドを実行しておきながら、自らに都合の良い嘘をでっち上げる彼ら差別者の、血塗られ極めてプラグマティックな虐殺史が描かれ得たのである。一例を挙げておけば、西部劇で良く使われるプロパガンダ“インデアンは残虐だから殺した白人の頭の皮を剥ぐ”というのがある。史実はまるっきり逆で、ネイティブアメリカンを騙し尽くし、殺し尽くす為、侵略者である白人は、ネイティブアメリカンを殺した証拠に頭皮を剥いで保安官事務所へ持ち込めば賞金がもらえるというシステムを作り実行したのである。当時、白人たちが嘯いていたことばに「良いインデアンとは死んだインデアンである」というものがあり、これは現代イスラエルが初代首相、ベングリオンの施政方針とした国境を作らぬこと、ネイティブをジェノサイドによって滅ぼすこととそっくり同じなのは、ベングリオン自身が証言しているようにアメリカの真似をしたからなのである。無論、シオニスト達の暴言には現在でも「良いパレスチナ人とは死んだパレスチナ人である」というアメリカ人の発想とそっくりな表現がみられる。彼らがテロリスト呼ばわりするイスラム教徒の大多数は、力を行使して戦うことを望んでいるのではなく、ネイティブ・アメリカンと同様、侵略され、占拠され、支配されて人間の尊厳を奪われることに異議申し立てのデモを組織したりしているのであり、それは人間として当然の権利だ。従って欧米と米国植民地日本の体制派は、イスラムフォビアを即刻止めるべきなのである。
     休憩を挟んで3時間10分という大作だが、作家のナツメクニオが言うようにハラハラドキドキの悲痛で美しいファンタジー形式を取っている。が、今作のインスパイアしてくれる内実には、以上に上げたような、現代社会に通じる、深くリアルな差別主義をベースにした、技術を持つ野蛮人の本質も描かれていると考えるべきであろう。而も英語という言語は、その場に居なければ事実か否か確認できないという言語として決定的な弱点を持つ言語である為、為政者はその言語特性を支配や外交に利用してきた歴史を持つし、現在においてもその流れは変わらない。
     作品の長さを感じさせないでぐいぐい物語にk\引き込んでゆくシナリオに花のある林 遊眠のキャロル役、中心になるキャラクターには上手い役者を適格に振って絞まった舞台にしているキャスティング、ファンタジックな美しさを演出した照明や、情感を盛り上げる音響もグー。

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    2016/09/03 10:17

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