満足度★★★★
みた。
蜷川死去がなければこれほどラッシュにならなかったのでは。森田剛主演というのも効いたらしいがよくは知らない。わが梁山泊の金守珍が演出と聴いて俄然、観劇候補上位に。演目も第七病棟への書き下ろし戯曲という事で気になっていた。
と、うかうかしている内にチケットは今思えば恐らく即完売だったろう・・というのも立見席発売日、開始後1時間位(だったと思う)に電話してみれば既に売止めのアナウンス。当日キャンセル待ちは厳しいだろうと止む無く二次市場に手を出し、比較的価格の低い立見席を見つけ観劇をきめこんだ。
そんなメジャーな舞台、俳優陣の内、森田剛はさすがに念頭にあったが荒川良々、六平直政、金守珍は登場と同時に判別できた。が、宮沢りえが判らず。つい2ヶ月前に観た芝居とはうって変わった役柄、七変化の女優魂に観劇後、感服した。他に女優は江口のり子のみ。(コロス的役として梁山泊の三浦・渡会は出ていたが) 宮沢がこの戯曲の情感を支える際どい女性の役でもって舞台を背負っていた。
森田剛の役どころ、自称人形使い、己が捨てたゆうちゃんという名の人形を探している。人形との双方向コミュニケーションで完結する青年、精神的引き籠り(外出はする)の前に宮沢演じる女性が立ちはだかり、三つ巴で連なるコミュニケーションの形を提案する・・というより露骨に言い寄る。ただしそこは唐十郎、単なる横恋慕でなく、彼女の背後に何かあると仄めかす。唐十郎の芝居はどれを取っても男が、女が(こちらが多いかも)、相手に言い寄る話が多いが、言い寄り方が独特だ。自分の物語の土俵に相手を引き込もうとする、その必然性を自分は強く強く感じているのだ、なぜなら・・・と説得し続けるのだ。「ビニールの城」でも男はゆうちゃんを探す理由である所の自分の物語を語り、女は女でその男に言い寄る理由である所の物語を、こちらは小出しに、語る。それだけに神秘性は増して観客はこの女の正体の謎解きを待ちわび始める。
唐十郎の劇世界が、小劇場orテント芝居の新宿梁山泊流を大舞台に適用したという体で立ち上っていたが、小劇場規模に収まらず、しかし小劇場的に濃密な「アトモスフィア」を作り出してもいた、と思う。
唐戯曲特有の台詞の連想ゲーム、つまりコトバ頼みのドラマ展開が、「おちゃらけ」に堕さず、主人公の「憂い」の目線に観客をしっかり繋ぎとめて進み、終盤に向けて見せ場を連打した末のラストは、イメージの高みに観客を押し上げる。 唐といえばラストの「仕掛け」を否が応にも期待させ、実際その通りであったが、もう一押し、「荒らしてほしかった」・・とは無理な願望か。
演出金守珍が一息つくごとに繰り出す趣向は今回の舞台にも随所に見られた。 映画「夜を賭けて」に十分才能を見いだせる演出家・金守珍の仕事のさらなる発展形を将来、どんな形で目にする事ができるか・・・楽しみになる舞台ではあった。