満足度★★★
むむ・・別役実フェス。最後を飾れたか
冒頭を逃した。(原因を思い出すに腹立たしい・・が関係ないので省く)だが、別役作品は「上手から吹く風」の中、人物が第一声をどんな風情で出すのか、が重要なのだ・・・という頭があったので(一層腹立たしいが本題を進めよう・・)、その部分を想像しながら、4、5分後のその場面から芝居を見始めた。
竹を天から降ったように見事にしつらえ、竹林の地面を照明で見事に表現した、「かぐや姫」の時代の老翁と老婆の会話。 きっとおとぼけなやり取りが、あったのだろう・・しかし、その始まりは最早推測できなかった(痛)。
大方の芝居は見逃した場面があっても他の場面で成立する、ライブならではの性質があり、あるいは見ていれば察しがつく、という事もある。しかし、今回は観始めた所からの話も、よく分からなかった。・・そうなると、冒頭を逃したかどうかの問題ではなくなるのかも。
「分からない」とは、俳優の「つもり」がその場で的確でない、よって表現も的確でない、従って「物語の叙述」の機能が十全でない、分からない、という事だ。でもって、面白くない、となる。・・説明が省かれた「分からなさ」は、推測の余地があるが、上の場合は、不要なもの、異質な、当たっていない表現が同居しているために意味が不明になっている、という事だろう。言葉(戯曲)の問題というよりは、演技の問題になって来る。
はて、これが別役実の劇世界か?・・・ 「小劇場」とは言いながら世の平均では大劇場に当たる劇場で、迫力ある大型な舞台にしたくなる「欲求」が、無意識に演出者の中にもたげており、その枠を外す考えに行き当たらなかった、という事ではないか・・と考える(勝手な想像だが)。
若い男役をやった俳優、謎の笛吹きの竹下景子、本気っぽい台詞をただ本気っぽく言う。この演技は違うのではないか・・こういう発声が出てくるような芝居を、別役さんは書くだろうか・・・(あまり想像ができない)
宮田演出は俳優にあまり要求をしない印象がある。スタッフの仕事は一流だし、好きにやらせてもそれはそれで良いだろうが、何といっても俳優の演技の構築の仕方は、そこに繋げる事のできる形での、芝居の世界観の提示が演出から俳優たちになければならないと思う。今回はいったいどういう事を要求したのだろう。 大上段な、ドラマチックだよ~と迫るような世界が、この戯曲に相応しかったとは思えない。 うまく言えないが、卑屈にへりくだった存在が(例えば三谷昇のイメージ)、時に鋭くえぐるような言葉を吐く。人間の不完全さというものが基盤にあり、愚かで、説明できない言動を繰り返す人間なのだが、その背後に何か人間についての洞察が垣間見える、そういう描き方をする別役実は劇作家だと思う。 竹林の中の支配構造や力関係がどう働いているか、というリアリティは追及しなくてよく、登場する背景も謎な人物たちがどう面白く、ユニークに、それによって魅力的に登場できるか、という事で良かったのではないか。「ミカド」なんていってるが裸の王さまみたいなもんで良かったのではないか。笑いのない別役実の芝居があり得るのか・・?大いに疑問の残る出し物だった。