満足度★★★★
映像、模型。自伝的独り語り
887とは番地のこと。登場して挨拶。「記憶」について、ルパージュが語り始める。テレビ番組で詩の朗読を依頼され、二つ返事で引き受けたのだが、これがまるで覚えられない、という。なぜ覚えられないのかの考察を披露し、ある方法を思いつく。すなわち「幼少時の記憶は決して忘れない」、その忘れられない記憶を頼りに詩の暗唱を試みる目論見らしい。・・という入口から彼の出自が語られて行くという仕掛けである。彼が育ったアパート。精巧な(に見える)模型を使いながら各部屋の住人を紹介。界隈の雰囲気を伝えつつ、様々な人種的背景を持つ人々が暮らしていたことにさり気なく触れる。そして彼が生まれたケベックという地域の特質にも触れられて行くのだ。ちなみに母は熱心なケベック主義者(英語を母語とする者すなわち支配者=カナダからの独立を目標にする)、父は穏健な中立派。父はタクシー運転手で、夜帰宅する時のエンジン音が子供ながらに待ちどおしかった、そんな思い出。高校生のころ、大統領がやってきた。中央に塔が立つ丘の上の公園で、多くの観衆が集う中、ケベック万歳が叫ばれる。そんな光景なども。
途中の記憶はだいぶ薄れてしまった。さて忘れた頃に問題の「テレビ番組」の放映時間が迫って来る。思わぬ伏兵、ではないが、問題はその「詩」そのものだった。「英語」というものを擬人化していてやや晦渋だが、支配に抗う心を恐らくは詩った詩だ。
ちょうど5月にSPACで観たワジディ・ムアワド作・出演の一人舞台『火傷するほど独り』は、彼がリスペクトするルパージュの論文を書くために彼を追うという自伝的な話だったが、レバノンからの移民である彼の出自をめぐる事々(主に父との関係)が、背景色になっていた。
世界に先駆けて多文化共生の制度的枠組みが作られたと言われるカナダの歴史的な葛藤は、このケベックという土地(といっても広い州だが)に象徴されているのではないか・・二作を通してその事を感じた。
ルパージュと言えば、吹越満が日本版に舞台化した『ポリグラフ-嘘発見器-』のイメージが強かったが、比べると今作は、ヒューマンな芝居だ。