満足度★★★★★
飆プロデュース:『天草のマリア』
学生時代、誰もが習う天草四郎が率いた「島原一揆」。映画やドラマ、小説でも、10代の美少年として描かれ、今尚、天草四郎時貞については、謎も多く様々な噂や伝説が残る。
私事になるが、そのドラマチックな伝説と女のように美しいと評された、美少年ぶりだけでなく、クリスチャンで副牧師の資格を持つ父に、物心つく前から天地創造や聖書の言葉、神様の話などを聞かされて育ち、歩いて行ける圏内にあったカトリックの幼稚園に通い、小学校3年から、1、2年その幼稚園の毎週水曜日の夕方から聖書のお話を紐解いて行くという"水曜学校"というものに通っていた身としては、かねがね疑問に思っていたことがあった。
それは、愛を説いたイエスの教えを信仰している筈なのになぜ戦うのか。
異国の神様を信仰したと言うだけで、なぜ宗教弾圧を受けなければならなかったのか?なぜ、キリスト教徒だけが過酷な弾圧を受け、重税に苦しみ、餓えなければならなかったのか?そんな状況下にありながら尚、信仰を捨てなかった人々がいたのかということ。
彼らの信仰を支えていたものとは何だったのかという点からも、天草四郎と「島原一揆」には関心があった。
それはまた、聖戦という名であったり、宗教感の違いから、未だに戦争をしている国があり、一人の神を信仰しているのに、なぜ、その中から分派や異教徒が生まれ、解釈の違いから争いになるのかという疑問にも繋がる。
聖戦という名の戦争や違う宗教、宗派を進行しているというだけで弾圧され、愛と和を以て尊しとする神の教えを信仰している者同士がなぜ争うのかと子供の頃から疑問であり、その疑問は聖書を読んでも解決されず、この『天草のマリア』を観て、更にその事を深く考え、強く思った。
愛するものを守るために戦う、平和を手に入れる為に戦争をする。そのことの矛盾とジレンマを考えずにはいられない。
その矛盾とジレンマとそれでも尚、愛する者のため、差別も争いもない平和な国にする為、戦わざるを得ない者たちの葛藤と痛みが胸を刺すように伝わって来て描かれている素晴らしい舞台だった。
いろんな思うと考えが全身を駆け巡った舞台だった。
途中、ちょっと意地悪な無茶なアドリブを言っているさらみさんの目が、いたずらっ子のように輝いていたのが可笑しく、随所に散りばめられた笑いも良かった。
宗教戦争・農民一揆・浪人の反乱・様々な説が飛び交う島原天草一揆を、独自の解釈を交えて、アクションもあり、いろんな要素と思いがぎゅっと濃縮された素晴らしい舞台だった。
いつも、さらみさんの舞台を観るとぼろぼろ泣くが、今回も泣いた。
次は、印象に残った役者さんについて、今回書き切れなかった事を交えつつ、書かせて頂きます。
文:麻美 雪