緑茶すずしい太郎の冒険 公演情報 (劇)ヤリナゲ「緑茶すずしい太郎の冒険」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★

    現代人の日常を神話のごとき不条理世界に
     王子小劇場に入って右側が客席、左側が演技スペースになっており、横幅の広い舞台でした。ロフト部分も活用して劇場の高さも生かしています。王子小劇場での公演は4回目だそうで、空間の特性をよくわかっていらっしゃるのでしょうね。下手には本棚、上手には衣服が掛けられたハンガーラックがあり、ロフト壁面にはカジュアルな現代服が多数、貼り合わされていて、下手床にもトレーナー等が雑然と散らばっていました。中央には簡単な机とイスが数脚あり、場面転換の際に俳優が移動させます。正面奥には白いスクリーンが用意され、時々映像が映されました。

     胎児(岡本セキユ)が登場して語り部となり、自分を宿す母とも、別の胎児とも会話をするファンタジー仕立てですが、先天性障がいや不妊、中絶、出生前診断等がテーマですので、上演時間は約1時間20分と短めですが、内容は濃厚でした。

     開演前に主人公が舞台上に居る時から、俳優の舞台上での存在の仕方、すなわち観客に対する態度、姿勢に違和感を禁じ得ませんでした。色んな選択肢を試した末に選んだ演技方法には見えなかったからです。自分たちの在り方について問題意識を持っていないというか…。まだタスクをこなすのに必死な状態の方が、冷静に観ていられます。

     俳優の顔に髪の毛が被さって表情が見えないことも問題でした。「ウーロン茶楽しい太郎」(主人公の弟)などを演じた浅見臣樹さんは、長い前髪が眼鏡の上にかかり、目元の表情が伝わってきませんでした。主人公である「ウーロン茶熱い花子」を演じた三澤さきさんは、両サイドの長い髪が頻繁に顔全体を覆い、正面からでも顔がほぼ半分しか見えないし、横顔だと鼻の頭しか見えないという状態でした。俳優重視の私にとっては、ものすごいストレスでした。敢えて顔を隠しているのだとしたら、その効果は何だったのかしら…。終演後に作・演出の越寛生さんとお会いできたのに、聞き忘れて無念。

    ネタバレBOX

     タイトルの「緑茶すずしい太郎」とは登場人物の名前です。主人公の女性は「ウーロン茶熱い花子」で、「ウーロン茶」が名字に当たります。「太郎」は男、「花子」は女を意味するようですので、「すずしい」や「熱い」が個別の名前になるのでしょう。俳優が名前を口にする度に海外古典戯曲を思い浮かべたり、見知らぬ異国を想像したりして、現代日本のお話を俯瞰できました(たとえばチェーホフ作『かもめ』に登場する若者の名前は「コンスタンチン・ガヴリーロヴィチ・トレープレフ」と長い目です)。

     名字が「ウーロン茶」である主人公の女性の家族は、頭上にウーロン茶の小さなペットボトルを載せています。なかなかに滑稽で愛らしいし、ペットボトルが消費社会を象徴しているようにも思えました。主人公の不倫相手で妻のある男性教師「緑茶かなしい太郎」(四柳智惟)の頭上には、白い急須が載っていました。2人が校内でこっそり睦み合う場面は、ペットボトルと急須を性器と見なして互いに触り合い、露骨にエロティックだけども笑える、微笑ましい見せ場になっていました。

     「ドーナツ化症候群」という先天性疾患がある主人公の姉(伊岡森愛)の頭上には、大きなドーナツが載っています。例えばダウン症のような目に見える障がいを表しており、障がいを持つ家族がいる人々の日常も描かれました。
     主人公は男性教師と不倫の末、「緑茶すずしい太郎」(岡本セキユ)を妊娠します。男性教師は妻(中村あさき)との間に長らく子供ができなかったので、最初は妊娠を喜んで主人公にプロポーズしますが、子供がドーナツ化する可能性が大きいことを知り、手のひらを返します。

     男性教師をめぐる妻と主人公との対決は、妊娠したくてもできない女性の苦悩、そして差別的な世間の目がよくわかる構造になっていました。男性教師の妻の「堕ろせー!」という叫びに込められた嫉妬と殺意に納得できます。人の弱みに付け込むセミナー商法をコミカルに表す場面も、皮肉が効いていて良かったです。
     主人公の弟の娘ジゾ美(伊岡森愛)と「緑茶すずしい太郎」が胎児同士で語る場面は、言葉ではない何かを通じて人間が会話する、つまり、体がなくても意識(心)でコミュニケーションできる可能性を示すもので、生前、死後の世界を空想できました。胎児とその母が語る以上に胎児の存在を強く示す効果もあり、出生前診断や中絶の是非について考えさせられます。

     主人公の弟の恋人の名前は「笠野ジゾ子」(國吉咲貴)、つまり「笠地蔵」で、義姉(=主人公)への恩返しに「緑茶すずしい太郎」のドーナツ化を治すという奇想天外な出来事が起こります。主人公はすぐに男性教師とよりを戻し、なぜか男性教師の妻も参列して、皆に大いに祝福される、茶番劇のような結婚式へとなだれ込みました。なりふり構わず進む怒涛の勢いと、ふざけた喧噪が良かったです。
     しかし、結婚式が終わって帰宅した主人公には、ドーナツ化症候群の姉にお腹を蹴られて流産するという過酷な運命が待っていました。「緑茶すずしい太郎」は倒れて動かなくなります。「笠地蔵」の登場から、この残酷な結末までは本当にあっという間で、その転落っぷりは心地よいほどでした。

     子供がドーナツ化していても産もうと決心していた主人公が、ドーナツ化した姉に子供を殺され、ドーナツ化していても生まれたいと思っていた「緑茶すずしい太郎」も、ドーナツ化した先輩(=主人公の姉)に命を奪われます。どんな努力も善意も無に帰すような、カラっとした冷酷な着地点に、ギリシア悲劇のような荘厳さを感じました。フィクションならではの遊びと利点を踏まえつつ、物語に古典の重みを備えた面白い戯曲だと思います。

     主人公が歌いながら悩みを吐露するカラオケのステージングや、「緑茶すずしい太郎」が胎内から優しく主人公のおなか蹴る場面の演出は、演劇ならではの手法だと思います。アイデアとしては面白いですし見栄えもしましたが、私は俳優の在り方に不満があったので楽しめませんでした。

    0

    2016/05/17 16:52

    0

    0

このページのQRコードです。

拡大