Collected Stories 公演情報 Art-Loving「Collected Stories」の観てきた!クチコミとコメント

  • 満足度★★★★

    役者は何をする者であるのか・・2時間のテキストとの格闘
    記憶に残る舞台になった(恐らく、明日になっても)。俳優二人の濃密な会話劇は、群像劇と対照的に殆どさらしもの。これを観ながら感じたり考察したり、どんなものか評してやろうと手ぐすね引く連中の餌食に等しい。言い方を換えれば「素手の勝負」。
    「役との格闘」とよく言うが、舞台役者のそれは、舞台上で「闘う」ために稽古をする、という関係になる。よりよく闘う姿は、演劇の意義・価値・輝きを証し示す内実である。この舞台は見るべき的として、ストーリー自体ももちろんだが、ドナルド・マーグリーズという作家のテキストを、俳優の闘うリングとして据え、そのスクエア内で闘っている二人の女優の姿がある。
    綱渡りに喩えれば、じっくり渡ろうが早足で渡ろうが、渡りきる事が重要で、それじたいが凄い技である・・・台詞自体が半歩先を行くので観客はそちらを追うが、演じ手の「役」の様子も見ており、役の設定とのイメージギャップや、特に海外戯曲を観るときの諸々の「落差」はこの舞台でもハンディとなっている。その中で、女優らがそれぞれ一人の人物を成り立たせる勘所を掴み、己のものとし、精一杯リング上で闘っていることの爽快さに結実するというのは、テキストの良さはもちろんだがテキストと互角に闘い抜くという舞台上の「現象」あってこそである。

    この作品の、赤裸々な心情吐露に事欠かない台詞が激した感情とともに俳優の口から吐き出されると、しばしば台詞に澱み、言い直しもするが、「人物」をやめる瞬間を(その予感も)微塵もみせず、絶えず俳優が「現在」を生きる証左を観客は感じている。
    作家と、作家志望の若者(いずれも女性)同士の会話には、これを書いた作者自身が「作家」な訳だから「ネタ」元は自分自身でもあるだろうが、「文」を生み出す苦悩や、作家の視点その他含蓄ある警句がちりばめられ、必然、それは人生そのものを語ることになる。この台詞の「重量」は半端ない。その重みを私らに届かせた二人の俳優の「仕事」に、一礼をしたい。

    ネタバレBOX

    途中休憩有りの二幕。前半1時間強、後半1時間弱。二人の出会いから関係の発展が第一幕で描かれ、第二幕はその数年後のある日の夜、二人の再会の場面での会話だけでほぼ占められる息詰まるシーンになる。
    物語の「結末」部分では、一幕で交わされたちょっとした会話(とは言え語った年輩の方の作家にとっては重要な告白)をめぐって、これをネタに新作を書いた若手作家が久々に訪れ、「問題作」を(出版前に送られた原稿で)読んだ年輩作家が、言葉を交わす。印象的な箇所を挙げれば書ききれず、「見事である」の一言でこの文を終えるしかない。
    二人は数年の間会っておらず、そこでの会話も疑心か諦観か挑発か諭しか判然としない(その絶妙な合間を縫う)年輩作家の言葉と、どこまでも直線的に向かい合おうとする若手作家の「すれ違い」の中に、余白、さまざまな解釈の余地がある。この余白は何か語る欲求を刺激するものがある。ただこの場では控えておく。

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    2016/04/29 01:49

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