満足度★★★★★
理系演劇!
前半で4次元に関する理論物理学(!)を語り、SF系の中盤を経て終盤は哲学に至るという構成がスゴい。初見であった前回公演とはかなりオモムキを異にする感じ?
前半の理系パートでは次元について非常にわかりやすく解説していて、2次元世界を球が通過するさまを見せた(!)後に「異次元球」の出現のしかたが語られて膝ポン状態。
ゆえに「うをぉ、理系演劇~!」と思っていたら主宰はバリバリの文系で、この作品のために参考文献を30冊もお読みになったとのこと。(←アフタートークにて)
また、終盤では1万年という尺度を示すことで「悠久の時の流れ」というものを実感させ、それだけ生き永らえることの孤独がひしひしと迫ってくるという…。スケールがデカい。
さらに、そんな中で明かされるタイトルの意味にまたもや膝ポン。
あと、球体を吊り下げて、宇宙とも「異次元球」ともとれる装置がまた内容を的確に表現していてこれまた見事。
そんなこんなで11月4日にD列16番で再見。
2度目に特に心に沁みたのは終盤での「愉快」と「白夜」の会話。「挨拶」が戻るのは1万年後ということで、もう会うことができない「喪失感」がにじみ出ていてホロリ。
いや、「喪失感」だけでなく、1万年後に帰ってくる娘(あるいは妹)を自分たちは迎えることができず、それどころかどんな世界になっているかさえわからない、というのは死別よりも辛い気がして、ご親族の心痛はいかばかりかとお察しいたします、的な。
前半ではこの2人が「トリップ」から戻って来た「挨拶」に対して何事もなかったかのように振舞っているからなおさら。
で、それはもしかすると「挨拶」への心遣いだったのかな、などと深読みをしたりもして。
さらにちょうど劇場への道すがら、重松清の短篇集「その日のまえに」所収の身近な人がある日突然いなくなってしまった後の喪失感も描いた「朝日のあたる家」を読んでいたので、それとの相乗効果もあり…。
また、「哲学パート」における舞台を実際より奥深く見せる照明も「宇宙の広がり」や「1万年の時の長さ」がそれによって表現されているようでステキ。