満足度★★★★★
儚くて、優しくて温かい嘘
エイプリルフールは、フランスが発祥の地であり、フランスでエイプリルフールのことを「Poisson d'avril [ポワッソンダヴリル」=「4月の魚 (Poisson d'avril)」と言う。
なぜ「四月の魚」というのか。それは、昔、4月から魚が産卵期に入るため、4月初旬から禁漁になる、漁獲期最終日である4月1日に、魚を釣れずに戻ってきた漁師をからかい、ニシンを川に投げ込み釣らせてあげたのがジョークの始まりだと伝えられている。
その言い伝えが基になり、フランスではエイプリルフールの4月1日に、同僚や友達同士で嘘をつきあったり、いたずらをしあって「Poisson d'avril(四月の魚)」と叫ぶのだという。
この舞台「四月の魚」は、嘘の世界を創り出す作家と嘘の話し。
書けなくなった作家に、有名な作家のゴーストライターの依頼が舞い込み、作家を見守る女性ともう一度作家に書かせようとする編集者に押しきられる形で作家が書き始めた物語は、余命幾ばくもない恋人に見せるため、エイプリルフールに百連発の花火を仲間と共に上げようとする物語。
物語と現実の思い出が交錯しながら進む物語は、やがて、何度も立ち止まろうとする作家の背中を、自らの意思を持ったように動き始めた物語の中の人物たちが押して書き上がる。その書き上がった小説の行き着いた結末は希望か哀しみか...。
私も、物を書く仕事の末席にいるものとして、思うことがある。
それは、物語とは1つの本当を99の嘘で包んで紡ぐ。それが、物語を書くということ。
童話作家になるために、学んだ専門学校の講師も、「100%の嘘で書いたものは物語ではなく、人の心に響かない、1つの本当があれば99の嘘が本当になり、ファンタジーになる」と言い、子供の頃、母が私に言ったのも、「嘘も100回言ったら本当になる。だから、今はそうでなくても、こうなりたいと思う姿、こうしたいと思うことを100回言い続ければ、本当になる。嘘をつくなら人を欺く嘘ではなく、自分も人も幸せになる嘘を吐きなさい。」と言うことだった。
「嘘」というと、負のイメージがある。けれど、時に人を励まし、救い、幸せにする嘘、やさしい嘘もある。それは、ただ、甘いことを言う優しさではなく、嘘を言う側の心が本当に強くないと言えない嘘だからこそ、やさしく温かな嘘になる。
舞台「四月の魚」は、余命幾ばくもない女性とその彼女に、彼女の命を少しでも長く止め、励まそうとするために花火を見せようと奔走する恋人と二人の友人たち、女性の弟と女性と一緒に入院していたことがあるその恋人たちの儚くて、切ないまでに優しくて温かい祈りにも似た嘘の物語。
それぞれに、事情や痛みや苦しさを抱えているのに、一人の人のために、それぞれが一生懸命、嘘を本当にしようと奔走し、必死に優しくて切ない嘘を吐き続け、嘘を本当にしようとする姿が、胸にひしひしと伝わり、深深と胸に沁みて、涙がぼろぼろと頬を伝い、喉を流れ落ち、胸を濡らした。
出演された役者さん、誰一人が欠けても、きっとこの物語は紡げなかったと思う。役としてではなく、その人としてそこに生き、存在していたからこそ、時間も劇場であることも忘れて、その物語の中に身も心も委ね、入り込み、皮膚感覚として感じ体感して、涙が溢れた。
薄青い4月の空に滲む淡い春の陽の光のように、仄かな希望が感じらる素敵な舞台だった。
文:麻美 雪