満足度★★★★
言葉が流れて落ちてくる
併演の前作が第一希望だったが余力なく、時間の合間に予定をねじ込む格好で新作を観た。O藝術座は数年前一作のみ目にして、アカンと思ったので暫く目にとめなかったが、言葉がうるさいので(例えばチラシ、またウェブにても)気の散りやすい性分としては「だったら一度語ってみな」と、別に自分に言われた訳でないが、観に(聴きに)行った。当て込んだ通り、言葉が多い。散文を書き散らしたような独り語りの長台詞を5人の登場人物に与え、キーワードのような単語(固有名詞)から、その実在する具体的なものについて語っているらしい雰囲気がある。が、虚構かも知れない。実在する被造物と、それへの解釈を、先人の考察や遺産を合切引用する事なく、事物に真正面に対して生まれる言葉をノートに書きつけている(それを役者が読んでいる)感じである。そういう感触を持ちながらそれを観(聴き)、その感触だけ持ち帰ったので、語られた内容については殆ど覚えていない。言葉が第一多すぎるし。でもって、言葉そのものが持つ可能性を追ったはよいが、言葉のみに依拠したかのようなこの表現は、演劇としてどうなのか・・という思いもよぎる。だが何にせよ言葉が多く、こう多くては意味伝達という効用を超えた何かに近づくのも必然だ。それは絵画のような全体像的なイメージを持ち始め、何かはっきりした形に結実しはしなかったが、そういう事が可能な「予感」を覚えた。食って糞を出すだけの生物、例えば蚕が繭に変態する位の変化を、通常「語義」以上でない言葉なるものが遂げる瞬間が文学にはある。それを自由への楔であると言ったとて、この作品を観た後ではさほど罪にならない気がする。(これじゃベタ褒めか・・・)