期待度♪♪♪♪
震災後のスケルトンな「つながり」が生んだ合言葉、日本
東日本大震災の犠牲者は9割以上が溺死とされる。翌日、 『東北沿岸 壊滅的』とする見出し を朝日新聞が 一面に報じた。ちょうど この頃、避難所で 身を固め、原発事故のニュースを聴いていた人々にとり、唯一といってもよい「つながり」がSNSであった。もっとも、眼の前の疲労感の集団が「つながり」、と呼べるかは見解がわかれそうだ。
この震災で 義援金を一番 拠出したのはアメリカ、ではない。よもやの「トモダチ」では なかった。100億を超す お金が、お隣 台湾の民によって もたらせたのだ。あるいは「つながり」だろう。ところが、私たち日本人に台湾のバリューは浸透せず、決済書として、赤十字から赤十字へと順ぐりに いたったのであった。
ボランティアが産声を上げたとすれば1995 阪神淡路大震災だ。市民同士が手を携える「つながり」が公的セクターへ代わり、何か、新しいものを作り上げていく、期待させる、さきがけ の時代だった。ただし 土埃である。この国は「野球と政治の話はしない」掟が ズドンと世間に転がっており、それに よって、過半の民が 少なくとも「色」がついているにもかかわらず、最大公約数的に煙くさいけどスケルトンがかった「つながり」しかない。今は「日本が誇らしい」が「つながり」か。